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救荒食

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 戦争中から終戦直後にかけての食料難時代には、米を食いつなぐためにさまざまな救荒食が作られた。
 救荒作物の代表は、サツマイモである。農家では、三反ほどの畑にサツマイモを栽培し、輪切りにしたサツマイモを麦飯に混ぜてイモメシを作った。また、蒸しご飯といってセエロ(蒸籠)に輪切りのサツマイモを敷き、その上に麦飯をのせて蒸すこともあった。当時は、釜やオヒツを洗う際に出るご飯粒も無駄にはしなかった。これを集めて干飯(ほしいい)にし、炒って食べたのである。
 晩飯には、スイトンを作ることが多かった。スイトンは、水で溶いた小麦粉をオタマですくって汁に落とし、ジャガイモなどの野菜を加えて醤油味をつけたものである。