ジャガイモやソラマメは五月末ごろに収穫され、ジャガイモは一年間保存をして逐次シオップカシ(塩蒸し)や煮物、味噌汁に調理された。ソラマメは、塩茹でをして皮を剥いて食べたり、柔らかいものなら皮ごと味噌煮にして食べた。また、あんを作ってまんじゅうに入れることもあった。イカリマメは、干したソラマメを水に浸してシリに穴を開け、油で揚げたものである。これは保存食であり、逐次煮物などに用いられた。
夏野菜にはキュウリ、ナス、エンドウ、インゲンなどがあり、キュウリやナスは塩漬けや糠漬けにされるほかさまざまなおかずに調理された。キュウリは、薄く輪切りにして塩で揉んだり、擂りゴマや味噌と混ぜてゴマ汁にされた。ナスは、てんぷら、焼きナス、油味噌、スブテ、味噌汁など調理方法が豊富である。油味噌は、油で炒めたナスに味噌を絡めたもので、ナスイビリとも呼ばれる。また、スブテは蒸したナスを酢味噌であえたものである。エンドウは、主として味噌汁の身に用いられ、ときには油で炒めて卵とじにされた。インゲンは、ゴマ汚しと称してゴマあえにしたり、てんぷらに調理された。夏野菜はいずれも栄養豊かであり、「夏野菜をたくさん食べれば、これが貯金となって冬に風邪を引かない」といわれた。また、夏野菜に関しては、初物のキュウリに家族全員の名前を刻んで家の脇の堀に流すと水難に遭わない、初物のナスを赤い糸に結んで戸口に下げると魔除けや疫病避けになるという伝承もある(西原)。
サツマイモは一〇月から一一月に収穫され、蒸したり、てんぷらにするほか味噌汁の身にも用いられた。また、季節風が吹く寒い時期になると、サツマイモを蒸して薄く切ったものを莚に広げ、夜露をあてながら数日間干して乾燥芋を作った。戦争中には、生のサツマイモを薄く輪切りにしてキリボシ(切り干し)を作り、これを石臼で粉に碾いてサツママンジュウを作った。サツマイモの粉に小麦粉を加えて水でこね、握って蒸すと真っ黒いサツママンジュウができる。これを農作業の合間のおやつに食べたものである。
サトイモやヤツガシライモは秋に収穫され、土に埋めて翌春まで保存された。調理方法は、煮しめやけんちん汁である。また、ヤツガシライモの茎はイモガラ、ズイキと呼ばれ、皮を剥いてから6-15のように干して保存された。これを逐次水で戻し、油で炒めたり油揚を入れて煮物にしたのである。
6-15 イモガラ干し(金原 S家)
秋から冬にかけてはダイコンやハクサイが収穫され、ダイコンはたくあんに漬けるほか切り干しダイコンにも加工された。切り干しダイコンは、ダイコンを細かく切って莚に広げ、水分がなくなるまで十分に干したものである。これを逐次水で戻し、油揚といっしょに煮物にした。また、ダイコンは味噌汁の身としても重宝され、冬の味噌汁はダイコンが主役となった。ハクサイは塩漬けにされ、残りを物置に囲っておいて味噌汁や鍋物に用いた。
ゴボウとニンジンは冬野菜の代表であり、これらできんぴらごぼうや煮しめを作った。
春は畑の野菜がとぎれる時期で、カラシナやホウレン草といった菜っ葉が収穫される程度である。カラシナは、主として味噌汁の身にされ、ホウレン草はおひたしやゴマ汚しに調理された。