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醤油

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 各家庭で醤油作りが行われていたのは戦前までであるが、昭和二〇年代初期の食料難時代には近所の一〇軒くらいが出資して道具を購入し、共同で醤油作りを行ったところもある。また、当時は農協でも有料で道具を貸し出していた。和戸沖の山では、昭和二二年に九軒で道具を購入し、昭和二九年まで毎年順回りのヤド(宿)に集まって九軒分の醤油を作った。道具は、諸味(もろみ)のカンマシボウ(掻き回し棒)、諸味をすくう長柄の杓、諸味を詰める麻袋、醤油を搾るフネとキリン、醤油を煎じる大釜、醤油をすくう杓で、これらは最後にヤドをつとめたG家で保管されている(6-20)。
 醤油の仕込みは秋か春に行われ、これを半年後に搾った。つまり、秋に仕込んだ場合は翌春、春に仕込んだ場合は秋に搾ったのである。また、ヒトドヨウ(一土用)を越さないと搾れないといい、秋に仕込んだものを一年後に搾る場合もあった。麹作りや仕込み、搾りには醤油屋を頼み、町内では東粂原のI醤油屋を頼む家が多かった。

6-20 醤油搾りのフネと醤油をすくう杓(和戸沖の山 G家)

 醤油には小麦の麹を用い、一斗のショイダル(醤油樽)一〇本分の醤油を作るには、小麦三斗と大豆三斗が必要であった。麹作りの手順は、まず、鉄製の焙烙で炒った小麦を石臼で碾割にし、一方では大釜で大豆を煮る。大豆が柔らかくなったら、これを粗くついて小麦の碾割と混ぜ、タネを振ってコウジバコに寝かせる。その後は、毎日醤油屋が来て麹の温度を確認し、一週間くらいたつと発酵が進んで麹ができあがった。
 麹ができたら、直径一メートルくらいの大きな桶に麹と塩と水を入れ、撹拌して諸味を作る。塩加減や水加減は、すべて醤油屋任せであった。
 こうして仕込んだ諸味桶をダイドコロの土間に置き、毎日カンマシボウで撹拌した。諸味は、撹拌を繰り返すうちに発酵が進み、プツンプツンと音を立てるようになる。この状態を「煮立つ」といった。
 約半年後には、醤油屋が道具持参で搾りに来た。また、共同の道具があればこれを使用した。搾る手順は、図27のように杓で諸味をすくって麻袋に入れ、これを折ってフネに一〇〇枚くらい重ね、上から蓋を締めて角材で押さえる。この状態でキリンで締めると、搾られた醤油がフネの口から出てくるので、これを桶に受け、さらに大釜に移して煎じる。その際には、甘味付けの糖蜜ととろ味付けのカラメルを加えた。糖蜜やカラメルは、杉戸町などの薬局から購入された。煎じる途中では、表面に浮いたアワ(泡)をすくって容器に移す。このアワの中に薄切りのダイコンを漬けると、おいしいアワ漬けができた。また、アワを薄めてから刻んだ野菜を入れ、アワジルと称する吸物を作る家もあった。

図27 諸味を麻袋に入れる方法

 煎じた醤油は、冷ましてからショイダルに移して保管された。ショイダル一〇本の醤油があれば、一年分を十分に賄えたという。