ビューア該当ページ

子供の弁当

529 ~ 529 / 772ページ
 子供の弁当は、麦飯に梅干しや佃煮をのせたもので、麦飯は親心から米の部分が多めに詰められた。卵焼きはご馳走であり、これを持っていくのは遠足や運動会の日に限られていた。弁当箱はセトビキ(琺瑯引き)かアルマイトで、アルマイトは長いあいだに梅干しの酸で腐食し、穴が空いた。
 正月の餅が残っているあいだは、焼き餅に醤油をつけたものを二、三枚弁当箱に入れて持っていった。
 戦争中から終戦直後にかけての食料難時代には、麦飯の弁当はおろか、蒸したサツマイモすら持ってこられない子供もおり、昼には空腹を抱えて外で時間を潰す子供が少なくなかったという。