ビューア該当ページ

食事の場

529 ~ 531 / 772ページ
 日常の食事は、ダイドコロに隣接するオカッテの板の間で取った。本田のH家では、図28のようにダイドコロにシマデエ(しま台)を置き、ここでご飯や味噌汁を盛り付けてオカッテに運んだ。また、西原のT家では土間に隣接する広さ四畳ほどの板の間が食事の場となっていた(図29)。
 ご飯や味噌汁を盛る順序は、最初が主人(家長)であり、しまいが嫁や使用人となった。また、味噌汁を盛る際には弦(つる)越しはいけないといい、弦の手前から盛るようにした。

図28 盛り付けの場と食事の座(本田 H家)


図29 母屋の間取りと食事の場・昭和38年ごろ(西原 T家)