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賄いの場

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 賄いを行う場をヒジロ(火地炉)、タキバ(炊き場)、タキダシバ(炊き出し場)といい、これはダイドコロの東側や北側に張り出して設けられることが多かった(図30)。ご飯の釜を掛ける竃が据えられ、その脇には炉(地炉)が切られて、上からは鍋や鉄瓶を掛けるカギッツルシ(自在鉤)が下がっていた。竃と炉を総称してヒジロと称する家も多く、これは、火どころの原形が土間の炉であったことの名残といえる。
 隅には流しを据え、その脇に井戸水を入れた甕や手桶を置き、ここから杓で汲んでは飲料水や炊事に用いた。また、古くは流しのない家も多く、その場合は水仕事のすべてを井戸で行わなければならなかった。
 賄いでは、豆ランプと煮炊きの炎が明かりとなった。電気が引かれる以前は、住まいの明かりといえばザシキに吊したランプがひとつきりであり、これはヒジロにまでは届かなかった。そこで、朝飯や晩飯の支度をはじめる際には手元に豆ランプを置き、竃や炉に火が燃えればこれを明かりとした。
 馬を飼っていた時代には、新しい馬が来るとヒジロに参らせる習わしがあった。バクロウサン(馬喰さん)はトボグチから馬を入れてヒジロに参らせ、続いて嫁に「よろしく頼みますよ」と挨拶をした。ヒジロでは馬の飲料となる米の研ぎ汁を沸かし、これは主として嫁の仕事とされた。つまり、ヒジロも嫁も馬にとって大切な存在だったのである。

図30 母屋の間取りとヒジロの位置・昭和7年ごろ(西原 S家)