竃はカマダンと呼ばれ、古くは泥で築かれた。形態は、焚口が二つあるいは三つあり、その上の穴に釜の鍔(つば)を引っ掛けてはめる。穴は、焚口によって大きさが異なり、釜に合わせて選択された。日常には小さい穴を用いることが多く、大きい穴は大釜を掛けてうどんを茹でたり、味噌豆を煮たり、蒸籠をのせて糯(もち)米を蒸すのに用いられた。
竃でご飯を炊くには、燃料に稲藁をくべ、マッチの火を付け木に移して点火する。そのあとは終始そばについて稲藁をくべ、火力が弱まらないようにする。そして、蒸気が吹き上がったら火を引き、一五分くらい余熱で蒸らせば炊きあがりである。米とぎは前日の晩に行われ、井戸で研いだ米を釜に入れて水を張っておいた。
竃の脇の炉にはカギッツルシを二本下げ、これに鍋を掛けて味噌汁やおかずを煮たり、鉄瓶を掛けて湯を沸かした。また、竃にご飯の釜、味噌汁の鍋、鉄瓶を掛け、ご飯を炊いたあとの余熱で味噌汁を煮たり湯を沸かす家もあった。
味噌汁を作るには、鍋にだしの煮干しと水を入れて火に掛け、湯が沸いたら刻んだ野菜を入れ、さらに野菜が煮えたら味噌を入れる。自家製の味噌は大豆の粒が残っているので、これをシラジで擂って笊で漉しながら入れた。また、古くは煮干しを用いない家も多かったという。