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煮炊きの燃料

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 竃や炉の燃料には、稲藁、麦幹、燃し木、落ち葉が用いられた。
 稲藁は、縄、俵、テゴ、莚などの材料となるので、ご飯を炊く以外はできるだけ節約するように努め、燃し木や落ち葉を優先的に用いた。
 麦幹には小麦幹と大麦幹があったが、小麦幹は燃すとバリンバリンと大きな音を立てるので、主としてウマヤ(厩舎)の敷き料とされた。
 燃し木は、クワボウ(桑の枝)、マメガラ(大豆の枝)、ゴマガラ(ゴマの枝)、ナタネガラ(菜種の枝)といった廃物が中心であり、薪はもっぱら風呂の燃料とされて煮炊きに用いることはなかった。養蚕が盛んな時代には、蚕に桑葉を与えたあとのクワボウが大量に出たので、これを煮炊きのほか風呂の燃料ともした。
 山崎、西原、逆井といったヤマ(平地林)の多いところでは、一二月から一月にかけてヤマ刈りを行い、その際に掃き集めた雑木の落ち葉を焚き付けに用いた。また、山崎の松ヤマではマツボッコと呼ばれる松の落ち葉を掃き集め、これは火力が強く火持ちも良いので燃料として重宝された。
 点火には、古くは付け木が用いられた。付け木は、薄く剥いだ木片の端に硫黄を塗ったもので、杉戸町本郷の付け木屋が売りに来た。マッチのない時代には、就寝時に炉の熾(おき)に灰を被せて種火を残しておき、これに細く裂いた付け木を当てて火をつけた。昭和初期にはマッチが出回るようになったが、付け木との併用はしばらく続き、マッチの火を付け木に移してから竃に点火した。マッチは貴重品であり、できるだけ節約するように努めたのである。
 竃や炉には、一日火を燃すと灰がたくさん溜まった。そこで、毎朝炊事をはじめる前に灰をカッパキ(掻き)出し、これを火の気がなくなってからヘエゴヤ(灰小屋)に入れた。燃し木は、稲藁に比べて火の気が残りやすい。そのため、「ホネッポイものは燃すな」といって稲藁だけを燃料とする家も少なからずあった。灰小屋に貯蔵された灰は、畑の肥料や鍋釜磨きに利用された。