ヒジロの隅には流しを据え、その脇に井戸水を入れた甕や手桶を置いて飲料水や炊事に用いた。甕や手桶の水は、少なくなると逐次汲み足され、就寝時には必ず満たしておくよう心掛けた。理由は、防火用水を兼ねていたためである。水汲みは、主として女性の仕事とされた。
6-23 井戸と流し(西原 S家)
井戸には突き井戸と掘り井戸があり、オカバの畑作地域はもちろんのこと、サトの水田地域でも飲料用の井戸はたいてい掘り井戸であった。突き井戸は主として陸田の灌水用であり、飲料用に掘られることは少なかったのである。
掘り井戸はところによって深さが異なり、深いところは釣瓶桶を滑車で上げ下げして水を汲んだ。これを車井戸という。浅い井戸には、桶を提げた竿を下ろせば容易に水を汲めるものもあり、図31のように梃の原理を応用したハネッツルベを設置する家も多かった。こうした井戸は、早い家で昭和五、六年ごろに手押しポンプに改良され、終戦後は多くが手押しポンプを経て動力ポンプを据えるようになった。
図31 ハネッツルベの井戸
浅い掘り井戸には、鉄分を含んだ赤水が出るところもあった。オカバでは、西原や藤曽根が赤水の出やすい地域とされ、山崎より南西に位置する逆井などでは赤水は出なかった。サトでは、本田、中須、笠沼といったサトツチの地域は赤水が出やすく、このようなところでは図32のように砂で赤水を漉してから使用した。なお、あいだにシュロやスミを入れる家もあった。また、突き井戸なら赤水の出る心配はないので、資金のある家では突き井戸を掘ったという。
図32 赤水を漉す方法
日照り続きの夏には井戸水が涸れることがあり、浅い井戸ほどその確率は高かった。藤曽根や東では、オカボ(陸稲)が枯れるほどの日照りが続いて井戸水が涸れると、西光院近くの池に集まって雨乞いを行った。
なお、井戸は長いあいだにごみが溜まり、周囲の泥も崩れてくる。そこで、年に一度、春の「衛生の日」の前にイドカイ(井戸替え)を行った。イドカイは隣組総出の作業であり、一軒ずつ回っては井戸神様を上げ、中に入ってごみや泥をさらい上げた。