田植えが手作業で行われていた時代には、日当を支払ってヒヨトリ(日傭取り)を雇ったり、ワタシと称して反当たりの報酬を支払って田植えを頼んだ。また、親戚や近所同士が互いに労力を交換するイイ(結い)の制度もあり、田植えが遅くまでかかる家には無報酬でスケット(助っ人)に行ったものである。
田植えの当家では、スケットやイイの者たちに食事を振る舞った。また、家によってはヒヨトリにも振る舞った。食事はアサメシ(朝飯)、午前一〇時ごろのオチャ、オヒル(昼飯)、午後三時ごろのオチャ、バンメシ(晩飯)の計五回であるが、朝飯はめいめいの家で食べて来るので、当家が振る舞うのは午前のオチャからとなった。また、ワタシの者たちは弁当持参で来るので、午前と午後のオチャのみを振る舞った。