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献立

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 午前と午後のオチャにはショイメシのおにぎり(6-24)を作り、これをジャガイモの煮物や漬物とともにオカモチ(6-25)で田んぼに運び、畦に座って食べた。ショイメシは、炊きあがったご飯に醤油をかけて手早く混ぜたもので、田植えのご飯は大麦を混ぜない米の飯(白米飯)と決まっていた。また、家によっては、午前のオチャにはアラレやジャガイモの塩っぷかしを出し、午後のオチャにショイメシのおにぎりを出すところもあった。

6-24 ショイメシのおにぎり(和戸沖の山 Y家)


6-25 オカモチ

 昼飯は、ご飯、味噌汁、焼き魚、竹輪の煮物、キュウリモミ、ナスの油味噌、漬物などで、終戦後には肉屋からコロッケを買う家も出てきた。焼き魚は塩ジャケ(鮭)が多く、ほかに塩イカ、サンマの開き、塩サバなどが用いられた。塩鮭は歳暮鮭を保存しておいたもので、これは月日が経つと塩気が強くなるため、塩抜きを兼ねて茹でる家も多かった。キュウリモミは、太いキュウリを縦割りにして種を取り除き、これを薄切りにして塩で揉んだものである。ナスの油味噌は、ナスを油で炒めてから味噌を絡めた。
 晩飯は、ご飯、味噌汁、煮付け魚、ジャガイモの煮物、てんぷら、キュウリモミ、キュウリとワカメの酢の物、漬物などで、これらに労いの酒を付けた。煮付け魚はニシンが多く、干した身欠ニシンを米の研ぎ汁に浸して柔らかくしてから味噌煮にした。また、カツオのなまり節を砂糖醤油で煮付けたり、サバの味噌煮を作る家もあり、なまり節には昆布やキヌサヤを混ぜるとおいしかったという。てんぷらは、サツマイモ、ニンジン、ゴボウなどの精進揚げである。そのほか、終戦後には刺身を付ける家が多くなった。