餅は、正月餅、寒餅、節供餅、ミイクやお日待ちのアンビンなど一年を通してたびたび搗かれたが、最も大量に搗くのは正月餅であった。
正月餅を搗く日は二八日が多く、二九日はクンチモチ、三一日は一夜餅といって避けられた。当日は午前二時ごろから糯米を蒸し、三斗俵の糯米を一俵から三俵くらい餅に搗いた。蒸籠を掛ける釜は、塩で清めるのが習わしとされた。また、搗く途中で餅を返すコネドリは女性がつとめ、オソナエを搗く際にコネドリが手を拭く手拭は、ハツミズテヌグイと称して、元旦に年男が初水を汲んだり供え物を献じる際の手拭きとして用いられた。
正月餅は、「ヒトイロモチ(一色餅)はいけない」といい、白餅のほかに粟餅、モロコシ餅、豆餅、海苔餅を搗いた。また、粳米の粉でシンコ餅、コザキ餅といった粉餅を搗く家も多かった。白餅ではオソナエ(お供え餅)を取り、これは三臼目から取る家もあれば五臼目や七臼目から取る家もあった。一臼は五升ゼエロ(蒸籠)といって糯米五升分であり、これで一一重ねのオソナエを作ることができた。オソナエ以外の白餅や粟餅、モロコシ餅は、すべてのして切り餅にし、三が日から二〇日ごろまでは毎朝餅入りの雑煮を食べた。そのため、しまいには餅に飽きて見るのも嫌になり、「正月の餅と親の別れは一番辛い」といったものである。また、モロコシ餅は舌触りが滑らかなことからはじめはおいしく食べられるが、直に飽きるので、「盆の踊りとモロコシ餅は、少しゃ良いけど飽きがくる」といわれた。餅を保存するには、莚の上に広げたり寒水に漬けておいた。
白餅では甘酒も作られた。これは「餅の甘酒」といい、搗き立ての白餅に糀を混ぜて発酵させたものである。主として、女性が正月に飲むものとされた。
豆餅や海苔餅は蒲鉾状に延べてから薄く切り、これを干してカキモチにした。一斗缶などに入れて保存しておき、逐次焼いたり油で揚げておやつに食べたものである。火を通した際に膨らむよう、餅の中には擂(す)った山芋や重曹を混ぜることが多かった。
切り餅の切れ端やモロコシ餅は、賽(さい)の目に切ってから干してアラレにし、これを焙烙で炒って食べた。手軽な茶受けとして重宝されるので、正月の餅のほか寒餅でもアラレを作る家が多かったという。
シンコ餅やコサギ餅は、糯米の餅に比べて歯触りが軽いので、年寄りに好まれた。