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部屋の呼称と機能

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 部屋は図38のように、アガリハナ、ザシキ、デイ、床の間の部屋、仏壇の部屋、トコウラ(ナンド)、オンナベヤ(女中部屋)、オトコベヤ、板の間、台所、風呂場、便所、ヒジロとなっている。

図38 O家の間取り図

 アガリハナは、組内や近所の人が来た時やちょっとした用事の人の応対に使用する。また、植木屋さんなどの職人が休憩してお茶を飲むとき、食事をするときにはここに縁台を出して使用する。
 ザシキは、普通のお客が来たときに使用する。お盆の時にはここの部屋に盆棚を飾るので、盆や彼岸のときのお客はここで応対する。なお、家から出た人はこの部屋で線香をあげ、ほかのお客が来たら奥のデイの部屋でゆっくりしていく。養蚕をやっていたころは、畳を上げてここの部屋で蚕の飼育を行っていた。ザシキの仏壇の部屋側の長押には大神宮様の棚が祀られている。
 デイは結納などの改まったときに使用する部屋である。また、ヨメゴヨビやシンキャクなどの祝儀、不祝儀は床の間の部屋と二部屋を併せて使用する。この部屋は家主の夫婦寝室としても使用する。この部屋には正月には歳神様が祀られる。
 床の間の部屋は、デイと併せて祝儀、不祝儀の際の人寄せの機会に使用する。家主の祖父母が寝室として使用する。

図39 O家の席順

 仏壇の部屋は、当主の両親の寝室として使用する。
 トコウラは、夜具、布団、座布団などの収納に使用した。
 板の間は、家族が食事をする場所であり、ヒジロから釜、鍋を持って来てここに置き、それを家族が囲んで食事をした。この時には図39のような席順で、祖父母だけが畳の部屋に座り、ほかの家族の者は板の間に座った。食事は個人個人の膳を使用した。
 ヒジロの竃では煮炊きを行っていた。竃は日常の食事の際の煮炊きに使用した。また、お茶を沸かす竃、味噌汁を作る竃などがあった。ここには荒神様が祀られている。
 オンナベヤは、昭和三六年ごろまで子守り、野良仕事、食事などをやってくれるお手伝いさんを雇っており、そのお手伝いさんが使用していた。
 オトコベヤは、終戦ごろまで作男が住んでいた。
 土間は、俵編みや桟俵編みなどの作業に使用した。