金子家は一五代続く旧家であるが、西光院が火災に遭い過去帳などの資料は消失したため、当家の由来などの詳細は不明である。左官職人としては七代続いており、当主三春氏の息子和生氏が八代目である。
当主の親方でもある先代は、幅広く仕事を行い西光院の本堂及び天水樋、菖蒲の三箇村役場、水深村役場(現加須市)、久喜の学校、忠魂碑の土台などの仕事を行った。
当主は高等小学校を卒業して、父親のもとで職人としてスタートした。当家では、職人を三人ほど雇って仕事をしている。かつて職人は、自転車や徒歩で通ってくるので近場の杉戸町並塚、春日部市内牧、岩槻などから来ていた。現在でも岩手県から来て二〇年以上働いている人もいる。左官の職人仲間同士で、忙しいときにはお互いに職人を手伝いに出し合うことも行われた。