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日光御成道(にっこうおなりみち)

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 江戸幕府が開かれると、幕府によって五街道をはじめ各道が整備された。当町内を通過する主要な街道としては日光御成道がある。また、日光道中の杉戸宿は近距離にあり、それに通じる道路も通っていた。

7-2 日光御成道 昭和62年 (西粂原付近)

 西粂原・国納・和戸には日光御成道が通っていた。日光御成街道ともいい、「御成」とは将軍が御成りになる道という意味であり、家康を祀る日光東照宮への将軍家の参詣路(さんけいろ)であった。日光への参詣路は別に、日本橋・千住・草加・越谷・粕壁・杉戸・幸手・栗橋と続いていく日光道中が整備されていた。しかし、将軍が日光参詣に出かけるときには、日光道中ではなく日光御成道を使った。
 日光御成道は江戸日本橋から中山道を通り、本郷追分で中山道から分かれ、岩淵宿へ出て荒川を渡った。対岸には川口宿が置かれ、鳩ケ谷宿、大門宿を経て、岩槻へ至った。
 岩槻からは台地上に道が続き、幸手宿手前で日光道中と合流した。江戸~幸手間は一二里三〇町、うち岩槻~幸手間は四里であった。岩槻~幸手間には、一里塚が四か所あり、岩槻宿地内の道の左右に榎、相野原村地内の左右に松、上野田村地内に左右に榎、下野村(左)と下高野村(右)地内に松がそれぞれ塚上に植えられ、旅人の目安となっていた。