明治三二年に東武鉄道が開業し、杉戸駅が開設されると駅前の道路が整備された。駅は現在の東口しか開設されていなかったため、線路の西側に広がる百間村の集落と駅を結ぶ道路が必要になった。そこで、百間新道が建設され、東武鉄道開業と同じ年に開通した。当時の百間村役場のあった西原や山崎・金原・逆井などの人々は、この百間新道を利用して駅へ向かった。
新道が開通すると沿道に民家や商店も見られるようになったが、戦前までは現在のようなにぎわいはなかった。戦前の百間新道の様子を図12(653頁)に示したが、当時は酒屋・米屋などの食料品を扱う店、種屋、鍛冶屋、鋳掛屋(いかけや)や駄菓子などがあった。商店や民家は主に新道の北側にあり、南側には麦畑が広がっていて「片側銀座」と呼ばれていた。現在のように多くの商店が建ち並び、商店街としてにぎわうようになったのは昭和三〇年代以降である。