図1 明治前期の道
表2 明治前期の道筋 |
道 名 | ルート | 巾 |
① 久喜道・粕壁道 | 下早見村 ~ 和戸村 ~ 須賀村( ~ 杉戸宿) ~ 百間村 ~ 内牧村 | 2間 |
② 岩槻道 | 清地村 ~ 百間村 ~ 太田新井村 | 2間 |
③ 岩槻道(村道) | 杉戸宿 ~ 須賀村(一部久喜道) ~ 東粂原村 ~ 西粂原村 ~ 高岩村 | 2間 |
④ 日光御成道 | 下野田村 ~ 西粂原村 ~ 国納村・和戸村 ~ 高野村 | 4間 |
⑤ (幸手道別路) | 和戸村 ~ 吉羽村 | 2間 |
⑥ 村道 | 爪田ヶ谷村 ~ 東粂原村 ~ 須賀村 | 2間 |
久喜・幸手は日光道中の道筋にある。また、高岩・上野田(現白岡町)は、百間や須賀・東粂原・西粂原から日光御成道に出る地点である。
表3 道標一覧 |
番 | 旧宿村名 | 小字・社寺等 | 年 号 | 西 暦 | 地点名 | 主像・主銘 | |||||||||||||||||
和戸 | 百間 | 杉戸 | 幸手 | 高岩 | 篠津 | 野田 | 久喜 | 菖蒲 | 鷲宮 | 騎西 | 鴻巣 | 春日部 | 宝珠花 | 岩槻 | 慈恩寺 | 江戸 | 上州 | ||||||
1 | 国納 | 八河内 | 寛政四年 | 一七九三 | ○ | ○ | 青面金剛像 | ||||||||||||||||
2 | 和戸 | 路傍 | 天明五年 | 一七八五 | ○ | ○ | 地蔵菩薩座像 | ||||||||||||||||
3 | 和戸 | 海老原利一宅 | 天保四年 | 一八三三 | ○ | ○ | ○ | ○ | 馬頭観世音 | ||||||||||||||
4 | 和戸 | 西方院 | 享保一七年 | 一七三二 | ○ | ○ | ○ | ○ | 地蔵菩薩座像 | ||||||||||||||
5 | 西粂原 | 路傍 | 江戸 | ○ | ○ | ○ | ○ | 道標 | |||||||||||||||
6 | 西粂原 | 路傍 | 嘉永七年 | 一八五四 | ○ | ○ | ○ | 道祖神 | |||||||||||||||
7 | 須賀 | 真蔵院 | 江戸 | ○ | ○ | 地蔵菩薩座像 | |||||||||||||||||
8 | 須賀 | 真蔵院 | 文政一二年 | 一八二九 | ○ | ○ | ○ | ○ | 地蔵菩薩座像 | ||||||||||||||
9 | 百聞 | 一庵坊 | 天保一四年 | 一八四三 | ○ | ○ | ○ | 馬頭観世音 | |||||||||||||||
10 | 中島 | 稲荷神社 | 文化四年 | 一八〇七 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | 庚申塔 | |||||||||||
11 | 西原 | 青林寺 | 文化六年 | 一八〇九 | ○ | ○ | ○ | ○ | 地蔵菩薩座像 | ||||||||||||||
12 | 西原 | 路傍 | 天保一三年 | 一八四二 | ○ | ○ | ○ | ○ | 成田山 | ||||||||||||||
13 | 西原 | 地蔵院 | 天保一三年 | 一八四二 | ○ | ○ | ○ | 成田山 | |||||||||||||||
14 | 西原 | 路傍 | ○ | ○ | |||||||||||||||||||
15 | 姫宮 | 姫宮神社 | 天保一一年 | 一八四〇 | ○ | ○ | ○ | ○ | 成田山 | ||||||||||||||
16 | 姫宮 | 姫宮 | 江戸 | ○ | ○ | 庚申塔 | |||||||||||||||||
17 | 中 | 神外坊 | 弘化三年 | 一八四六 | ○ | ○ | ○ | ○ | 成田山不動尊 | ||||||||||||||
18 | 中 | 路傍 | 文政一三年 | 一八三〇 | ○ | ○ | ○ | ||||||||||||||||
19 | 東 | 西光院 | 天保一〇年 | 一八三九 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | 庚申塔 | |||||||||||||
20 | 宮東 | 宮東 | 明和六年 | 一七六九 | ○ | ○ | ○ | 馬頭観世音像 | |||||||||||||||
21 | 宮東 | 路傍 | 享和元年 | 一八〇一 | ○ | ○ | ○ | 不動明王 | |||||||||||||||
22 | 川端 | 庚申神社 | 嘉永三年 | 一八五〇 | ○ | ○ | 庚申塔 | ||||||||||||||||
23 | 川端 | 路傍 | 寛延三年 | 一七五〇 | ○ | ○ | ○ | ||||||||||||||||
1 | 1 | 15 | 3 | 2 | 3 | 1 | 10 | 1 | 2 | 2 | 1 | 14 | 1 | 8 | 10 | 1 | 1 |
図2-1 道標分布図
町外の地名では、このほかに慈恩寺の例が多い。慈恩寺は岩槻市にある天台宗の寺院で華林山最上院慈恩寺という。坂東三十三観音霊場の第一二番で著名な寺院である。また、鷲宮が二例あるがこれは鷲宮神社の門前町であり、同社は中世太田庄総鎮守といわれる古社であった。これらの道筋は、いわば信仰道ともいうべきものである。
町内の地名では、切戸と和戸がある。切戸は百間村の集落で、村内に分散する諸集落を結ぶ道の行先地名といえる。道標には「切戸道(きりとみち) かすかべ」と刻まれ、切戸を通って宿場町粕壁へ至る道筋であった。和戸は日光御成道が通った村であり、町域の村と村を結ぶ道、および御成道へ至る道の行き先地名である。
このように町域の道しるべからさまざまな道筋を見ることができる。①町域の村々から日光御成道、日光道中へ至る道、②直近の町場、及びさらに遠方の町場へ至る道、③町域の村々を結ぶ道、④村内の集落を結ぶ道、⑤野良道である。
これらの道を分類すると、町場へ作物の売り出し、運搬や買い物に使用する道、遊びに出かけたりした道、耕作や日常利用された道、社寺参拝や旅行など遠方に出かけたときに利用した道となる。