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矢島の渡し

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 矢島の渡しは、明治・大正期から行われていたものと考えられる。昭和二五年の春に渡し場に土橋が架設されたので廃業した。一日に平均一〇人程を運んでいたが、終戦後の最盛期には買出しの人などを一日に一〇〇人も渡したこともあるという。この利用者のほとんどは、姫宮駅の利用者であった。経営は矢島家で行われたので「矢島の渡し」というようになった。渡しの運行時刻は定まっておらず、朝五時から夜一〇時ごろまで、起きている時間帯は頼まれれば舟を出した。船賃は戦前で五銭、戦後は一〇銭であった。この渡し場の川幅は比較的狭く、四、五回棹をやると岸に着いた。