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ガッタの渡し

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 ガッタの渡しの場所には、近世の後期には板橋が架けられていたことが『新編武蔵風土記稿』に記されている。これには「東北の境を流る幅二五間板橋を築して葛飾郡小淵村へ通ず」とある。しかし、明治前期には橋がなくなっている。ガッタの渡しはこの板橋と同じ場所に位置している。この渡しは島村家が経営に当たり、船賃二銭、幸手不動院や春日部小淵観音の参拝などに利用され、昭和二九年まで行われていた。「ガッタ」の由来は、渡船になる前の橋が途中まで行くとガタガタしたため、ガッタラ橋と呼ばれていたためであるという。この渡しは「フジの渡し」とも呼ばれた。対岸の春日部市側を「カンスケの渡し」という。

7-6 ガッタの渡し付近