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杉戸駅の開設

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 前述のように東武鉄道開業当初に杉戸駅が設置された。当時の百間村に設置された駅ではあったが、古利根川の対岸で、日光道中の宿場として栄えた杉戸の名にちなみ「杉戸駅」と命名された。開業当時は現在の東口側に本屋があり、本屋前に上り線、そして貨物中線と下り線があった。西口が開設されたのは、昭和四八年のことである。

図5 道路建設予定図(折原家文書No.3490)

 杉戸駅開業によって人と物の流れがそれまでとは変わり、道路の状況に大きな影響を及ぼした。そこで、新たな道路建設が必要となってきた。「折原家文書」に残された道路建設予定図(No.三四九〇)によると、停車場(杉戸駅)から直線に旧日光道中まで「杉戸設計ニ係ル仮道」として破線で記されている。日光道中の宿場として発展した杉戸の町場と、杉戸駅を結ぶ道路が計画され、建設されたのである。
 この道は、現在の東武動物公園駅東口の駅前通りであるが、杉戸駅開業の翌年明治三三年五月に、この道路と橋(古川橋)が完成した。この道路は停車場道とよばれ、多くの人やものが往来した。同三五年に発行された『埼玉県営業便覧』から当時の杉戸駅前通りの様子を知ることができるが、駅前通りが開通して二年後には、料理屋、白木綿屋、菓子屋、理髪店、荒物屋や待合茶屋などもみられるようになった。古川橋を渡った杉戸町にも商店が建ち並ぶようになり、この道路に沿って市街地が形成された。