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薬売り

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 医者は白岡町上野田のYさんくらいしかいなかったので、置き薬を家に置いたものだった。一番多く利用したのは風邪薬だった。いつごろからかわからないが越後から直接売りに来ていた。一月と八月の二回、駅前の旅館に泊まり一か月くらいかけて売り歩く。「富山の方ではまだまだ雪が何メートルってあるんですよ」などと話していた。その人が戦死すると昭和二二、三年ごろから妻がさらに時代が下るとその息子が売りに来た。

7-13 置き薬箱(青木氏所蔵)


7-14 置薬

 山崎や東粂原などでは、置き薬屋は富山から来ていた。置き薬屋では桐箱に入れた薬を使った分だけ精算し、補充していた。来るときは紙風船などのおまけを持ってきてくれた。