①刺身やイワシ・シャケなどを春日部から箱を天秤棒に担いで売りに来た。刺身は大尽の家しか買わないほど高価なものであったが戦前まで来ていた。
②戦後まもなくから昭和五〇年代までカキやエビ・ハムを売りに浦安から来ていた。魚・貝類は新鮮で品はいいが値段が高かった。
③杉戸の駅前の魚屋は今から二〇年くらい前までは来ていた。扱うものはほとんどが干物で秋にはサンマや昆布の佃煮も扱っていた。
④杉戸あたりから小さいフナやヤマベなどの小魚を売りに月に一回くらいお得意だけにまわって来た。
⑤千葉県関宿から、戦前は五人、戦後は二人来ていた。干物やわかめ・小女子・生海老・干し海老などを売っていた。年中来ていたが冬場に多く来た。春の田植えのころにはニシンやナマリなどを売っていた。
⑥一〇日に一度の割合で古利根川でとったクチボソを売りに来る女性がいた。天秤棒を担いで魚を入れるものを二、三個積んでいた。値段は忘れたが近くに魚屋はなく大変な御馳走になった。
⑦粗く編んだ竹の籠を自転車の後ろに載せて売りに来た人と、籠を背負って電車で来ていた人がいた。服装は印半纏(しるしはんてん)やシャツ、中には腹掛けをつけて長靴を履いて来た。冷蔵庫ができてから宮代や姫宮の方からサンマやアジなども売りに来た。農閑期になると小魚やドジョウを農家の人が売りに来ていた。