春先、四月二一日ごろ、大師(弘法大師)の日といって、その日、西新井大師から木の箱に入った大師の御姿を背負った僧侶がいろいろな寺を回っていた。その僧侶は白装束を着ており、襟には「南無遍照金剛」の帯をして歩いて来た。この時、地蔵院を開けてオダイシサマを迎え、団子、ぼた餅、赤飯などを近所の人が作ってダイシサマに供えた。地蔵院の次は西光院へ行き、さらに春日部方面へ向かった。地区地区で信心深い人は白い半天を着ていっしよに歩く。これは昭和一八年ごろまで行われた。翌一九年、白装束を着た三〇~五〇人がぞろぞろ歩くことは空襲のある時分に危ないということでこの行事を止めた。