図7 杉戸駅東口周辺の商店~昭和初期から10年ごろ~
駅弁の販売方法は、ホームでの立ち売りであった。売り子の男性は、7-15のような印半纏(しるしばんてん)姿で上りと下りのホームに立ち、折り畳み式の台に駅弁や飲み物をのせて電車を待った。そして、電車が入ってくると停車時間を利用して窓越しに販売をした。また、電車の本数が少なく待ち時間が長いので、乗換え客にも駅弁は良く売れた。
商売は軌道に乗り、登茂ゑ屋では板前とその助手、売り子四、五人、女中三、四人を雇って弁当作りに追われた。また、寿司の出前も行ったので、その配達人も雇っていた。
7-15 売り子の出立ち~昭和4年~(百間 中村氏所蔵)
戦争中には米が統制となったために弁当を作ることができず、駅弁販売は中止された。そして、終戦後に統制が撤廃されたあとも弁当作りは復活せず、パンや飲み物や菓子を仕入れて売るだけとなった。