7-17 さまざまな日用品が並ぶ店内
日用品は荒物屋の主力商品であり、これには次のようなものがある。
*竹細工と竹の皮 竹細工には、脱穀に用いる一斗五升や二斗入りの笊、米あげ笊、うどんあげ笊、食器の水きり笊、梅干し用の笊、蚕籠、熊手などさまざまな種類があり、これらを久喜市の籠屋から仕入れた。しかし、籠屋がやめてからは作り手がいなくなり、近年では主として中国産の製品を仕入れている。また、うどんあげのスイノウは比企郡小川町で作られたものを仕入れている。
戦前は、梱包用品として竹の皮の需要が高かった。荒物屋では農家からモウソウチクの竹の皮を購入し、これを水に浸して伸ばしてから五〇枚を一束にして販売した。
*縄 縄には、小手縄、シュロ縄、麻縄があり、近年ではサイザルロープと称する麻の太縄も販売している。
*紙 荒物屋で販売する紙には、障子紙、ちり紙、化粧紙がある。ちり紙は、現在ではトイレットペーパーに変わっているが、以前には袋入りの浅草紙を仕入れ、これを小分けして紙テープで束ねて販売した。そのほか、上棟式の際に幣串(へいぐし)に巻く「西の内紙」と称する和紙も販売している。
*箒 箒には竹箒と座敷箒があり、座敷箒は栃木市の問屋から仕入れた。銘柄は鹿沼箒である。
*大麻 大麻は、神事のお祓いや上棟式につきものとされるので、現在も栃木市の問屋「青木清次商店」から仕入れている。かつては、上棟式に招待されると半紙に大麻を包み、これに御祝儀を添えて持参したものである。また、大麻は結納品のひとつとされ、これを半紙に包んで水引を掛け、「共白髪」と書いた。
*履物 荒物屋では下駄や草履も販売しており、昭和四〇年代以降はサンダルも扱うようになった。下駄には、駒下駄、ゴロンパと称する五寸歯の高下駄、日和下駄(ひよりげた)、女物の吉町下駄、千両下駄と称する男物ののめり下駄などがあり、これらを浅草の問屋から仕入れた。また、併せて下駄の鼻緒を仕入れ、店ですげ替えを行った。草履には麻裏草履(あさうらぞうり)、板裏草履(いたうらぞうり)、ゴム草履があり、これらは栃木市の問屋から仕入れた。
*小間物 小間物には、とかし櫛、すき櫛、ピン、ネット、椿油といった整髪用具、洗髪剤、裁縫用具がある。洗髪剤は、昭和三〇年代以降にはシャンプーを販売するようになったが、それ以前はヒナッチチと称する粘土質の泥を原料とした洗い粉を販売していた。商品名は「タカト洗い粉」といった。昭和三〇年代には「ユゼシャンプー」と称する固形のシャンプーができ、以後はさまざまな液体シャンプーが出回るようになった。化粧品は、汗知らずパウダーを販売するだけで、口紅や白粉は扱わなかった。
*洗濯用品 電気洗濯機が普及する以前はタライと洗濯板が用いられており、荒物屋でもこれらを仕入れて販売した。タライは古くは木製であったが、昭和一〇年代にはブリキ製のカナダライが出回った。また、洗濯板は長方形の板にU字型の溝を彫ったもので、上部には石鹸を置くくぼみが付いている。現在も、ときどき買いに来る者があるので、店に置いてこれに応えている。
洗濯用の粉石鹸が普及したのは昭和四〇年代のことであり、それ以前は固形の洗濯石鹸が用いられていた。荒物屋では長さ四〇センチくらいの棒石鹸を仕入れ、これを切ってセロハン紙に包んで販売した。棒石鹸のメーカーは、古くは「アサヒ電化」であったが、のちに「アデカ石鹸」が出てきた。また、昭和四〇年代にはアデカやライオン油脂が粉石鹸の製造をはじめ、以後はさまざまな粉石鹸が出回るようになった。
*歯ブラシと歯磨粉 開店当時の歯ブラシは、竹の柄に動物の毛を植え込んだものであった。歯磨粉には「ライオン歯磨」と「ジンタン歯磨」があり、これらは袋入りであった。また、「スモカ」と称する喫煙家のためのヤニ取り歯磨もあり、これは缶入りであった。昭和四〇年代にはライオン油脂が「スーパーライオン」と称する箱入りの歯磨粉を売り出し、昭和五〇年代以降にはチューブ入りの練歯磨が主流となった。
*染め粉とフノリ 昭和初期までは家で絹織りが行われており、絹糸の染料とする染め粉を販売した。商品名は「みやこ染め」といった。また、日常に和服を着ていた時代には洗い張りが行われ、これに用いるフノリを販売した。
*台所用具と飲食器類 台所用具では、シラジと称する陶器のすり鉢とすりこぎを販売し、これらは現在も店に置いている。
瀬戸物やガラスの食器を販売するようになったのは、昭和四〇年代以降のことである。塗り箸は、開店当時から販売していた。古くは芥子色(からしいろ)が定番であり、伊勢神宮の代参者は、帰ると芥子色の塗り箸を講員に配ったものである。昭和四〇年代には小豆色の塗り箸に代わり、のちには割箸が主流となって塗り箸の需要は減った。箸の仕入れ先は浅草橋の問屋である。昭和四〇年代以降は、箸に加えてスプーンやフォークも仕入れるようになった。
*照明具 荒物屋ではランプを販売しており、これには吊しランプと豆ランプがあった。吊しランプは、笠、弦、油壺と灯芯、ホヤを組み合わせるもので、部品だけの販売も行っていた。豆ランプは卓上用の置きランプで、照明が電気に変わってからも仏壇や盆棚用として需要がある。
*付け木とマッチ 昭和二〇年代までは付け木を販売した。付け木は、薄く剥いだ木片の端に硫黄を塗ったもので、これを細く裂いて火種に当て、点火した。昭和二〇年代以降は、付け木に代わってマッチが主流となった。マッチは、「パイプマッチ」や「馬印マッチ」といった銘柄があり、これらは古くは大箱入りであったが、のちに小箱売りに変わった。
*燃料と七輪 荒物屋で扱う燃料は、炭団(たどん)、豆炭、練炭であり、炭団は杉戸町宮内のO瓦屋から仕入れた。瓦屋では松炭を用いて瓦を焼き、その灰で炭団を作ったのである。豆炭や練炭は、白岡町のS練炭屋から仕入れた。また、火起こし用の七輪も販売した。そのほか、養蚕が盛んな時代には蚕室に置く練炭用の七輪も販売した。
*火鉢の付属品 火鉢は陶磁器店で販売されるが、火鉢に置く五徳や火箸、灰掻きは荒物屋で販売された。
*フイゴ 竃や風呂にモシキ(燃し木)をくべていた時代には、火起こしのためのフイゴも販売した。これは、鍛冶屋が使う大型のフイゴではなく、手に持って操作ができる小型のものであり、火吹き竹と同じ役目を果たした。
*買物籠 昭和二〇年代から四〇年ごろにかけては、買物籠が良く売れた。これはビニールを被せた針金で編まれたもので、馬喰町の問屋から仕入れた。しかし、スーパーマーケットの出現と共に使い捨てのビニール袋が普及し、これによって買物籠は衰退した。
*文房具 文房具は学校の近所の文房具店で販売されるので、荒物屋では白墨、鉛筆、帳面程度を販売する。また、運動会や学芸会に用いる五色の紙テープも販売する。