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道路と井戸

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 百間新道の道路はかつて砂利道であり、自動車が通らなかった戦前までは人々が道路の中央部を往来した。そのため、長い間には中央部にくぼみができ、埼玉県の土木担当の人が来ては道路の土寄せを行った。中央部に土を寄せると左右に溝ができ、大雨が降るとこの溝に西側の水田の水が流れ込んできた。このときドジョウもいっしょに上ってきたものである。

図12 戦前の百間新道の家並み

 また、雨が降ったあとには道路の方々に水溜まりができ、男の子はここでニッキ棒遊びを楽しんだ。ニッキ棒は枝の先を削って尖らせたもので、これを数人の男の子が順番に水溜まりへ投げて突き刺す。相手の棒を倒せばそれをもらうことができ、たくさんのニッキ棒を持っている者は自慢になった。
 百間新道の商店や民家は、ほとんどが個人の井戸を所有していた。井戸には掘り井戸と突き井戸があり、突き井戸は掘るのに資金が必要なことから、たいていは掘り井戸であった。掘り井戸は浅いが、水の出は良い。しかし、鉄分の混じった赤水が出やすく、水質は良好とはいえなかった。