小島氏は明治七年、横浜へ出向いた折りに病を患い、ヘボン医師の診療を受けた。そして、翌八年に宣教師ゼームス・バラより洗礼を受け、帰郷後の明治一一年、自宅に教会を開設したのである。信者は和戸村を中心に近隣の農村部へと広がり、明治一五年には7-24のような教会堂が建設された(38)教会堂は宿の中央部に位置し、シンボル的な存在となった。また、教会堂の近くには和戸村駐在所(42)があり、その入り口には宿の消防団が所有する消防小屋(44)が建っていた。消防小屋の脇には庚申塔(こうしんとう)(43)が立ち、これは現在も同じ位置にあって往時の面影を忍ばせている。
7-24 和戸キリスト教会 初代の建物(和戸教会所蔵)
篠原大同医院(39)は宿で唯一の開業医であり、篠原大同氏はヘボン膏の開発者としても広く知られていた。ヘボン膏はクサやカブレを直す塗り薬で、その名は小島氏が診療を受けたヘボン医師に因んでいる。蛤の貝に入れて売られ、大変効き目が高いと評判であった。