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[子供の仲間]

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 子供たちの集まりとして、宮代町周辺では初午の日に稲荷神社にお籠もりする行事が多く行われている。この行事は、初午のオコモリ(お籠り)と称され、鎮守や個人持ちの稲荷神社に籠もる行事である。個人の家でお籠もり行事を行う場合をヤドという。子供たちは、昼間「オミキセン、クラッセー、……」と一軒一軒回って歩き、お金を貰って歩いた。百間では「初午のカンケ、クラッセ」、須賀では「アブラッコ、クラッセ」という傾向がある。このお金でお菓子や稲荷社の供物の油揚げを買ったりした。小学生の高学年の子供が中心となって行われるが、ヤドの人が五目御飯を用意したりして、世話をしていた。この初午のお籠り行事は、戦前まで行われていた地区、戦後も行われていた地区とさまざまである。
 藤曽根では、男の子たちがお籠もりをした。子供たちは大きな絵馬を首から下げ、「稲荷様のカンケ、クラッセ」といいながら各家からお賽銭を貰って歩き、お供えの油揚げやお菓子を買った。この行事は、昭和六三年ごろまで行われていた。
 西では、大正年間までお籠もりが行われた。小学生の男子がヤドの稲荷様の前に簡単な小屋(丸太の柱を筵(むしろ)で囲う)を作った。ここで一晩明かす。お籠もりの前にはお賽銭を「稲荷様のカンケ、クラッセ」といって各家から集め、お菓子を買った。
 逆井では、初午に稲荷神社の祭礼が行われ、境内で飲み食いを行う。集会所ができる以前は、初午の前日の晩には子供たちのお籠もりがヤドの家で行われた。
 山崎では、小学生の男子が重殿社の境内にある稲荷様に丸太を柱にして回りに筵を立て、風除けを作ってお籠もりをした。この行事の前に家々を回って一銭くらいずつ集めて菓子を買っておき、お籠もりのときに食べた。
 須賀下では、小学生の男子が御霊様でお籠もりをした。昼間に「アブッラコ、クラッセ」と須賀下地区の家々を灯明銭を貰って歩いた。
 須賀島では、昭和三〇年代までは七歳から一四歳くらいの男子が稲荷様などでお籠もりをした。このときには太鼓を叩いて眠らないようにした。昼間に「アブラッコ、クラッセイ」といいながら灯明銭を集め、供え物の油揚げや菓子を買った。

8-5 稲荷社 初午の飾り(本田 H家)

 町域の行事の様子は表3のとおりである。
表3 子供のお籠もり行事一覧
地区名場 所参加年齢いつまでその他
五社神社小学校二年生
  ~五、六年生
戦前 
中寺個人の稲荷社小学生一年生
  ~高等科の男児
戦前納屋や物置に籠もった
金原稲荷神社小学校一年生~六年生昭和三〇年後半 
逆井稲荷社(集会所)小学生 若い衆昭和三〇年頃集会所が出来るまでお籠もりが行われた
山崎重殿社小学生戦前 
西原個人の稲荷社小学生六年生まで昭和二〇年頃 
藤曽根個人の稲荷社小学生二〇名位昭和六三年頃 
西個人の稲荷社小学生の男児大正年間簡単な小屋を作った
前原個人の稲荷社小学生の男児  
姫宮萩原家の稲荷社小学五年生が中心戦後まもなく中止に 
川端個人の稲荷社小学生  
柚の木個人の稲荷社小学校一年生~六年生  
松の木島個人の稲荷社小学校一年生
  ~高等科二年生
  
内野個人の稲荷社小学校一年生~六年生  
宿個人の稲荷社小学生の男児  
川島桜稲荷神社小学生の男児  
道仏稲荷神社小学生戦時中に止めた 
蓮谷蓮谷稲荷社小学校低学年昭和三〇年頃 
辰新田浅間様小学生昭和四〇年前半 
須賀上個人の稲荷社小学生高等科まで昭和四八年頃 
須賀下御霊様小学生の男児  
金剛寺個人の稲荷社小学生高等科まで昭和四〇年前半 
東粂原稲荷社小学校五年生まで  
西粂原個人の稲荷社小学生の男児戦前まで 
国納個人の稲荷社小学生の男児  
和戸宿個人の稲荷社小学生の男児昭和三〇年頃 
本郷宇宮神社小学校六年生が中心昭和四〇年頃 
沖の山新田天満神社小学生  
八河内稲荷社小学校六年生が中心戦前まで 
若宮八幡神社小学生の男児  
中須個人の稲荷社小学生の男児