かつては青年団とは別に、地区の長男が加入した若い衆が組織されていた。長男は一五歳になると、一人前として若者衆の加入が認められた。若い衆の集まりである若い衆オトキが、大きな座敷のある家をヤドに行われた。また、灯籠祭り・盆踊り・獅子舞などの祭礼行事は若い衆が中心になって行われる。
西原では、昭和三七年ごろまで世帯持ちの男性の集まりである若い衆オトキがヤドを当番制で行われていた。
姫宮では、一四、五歳の長男の集まりである若い衆オトキが行われていた。年に四回集まり、餅を搗いて食べたり、筑波山に行ったり、岩槻市大戸の第六天神社に花見に出かけた。
金剛寺では、昭和四〇年ごろまで七月に饅頭オトキと称して、若い衆の集まりが行われていた。饅頭オトキには長男は三〇歳まで、婿の人は三五歳まで加入していた。ヤドは若い衆の家で行った。また、八月一〇日の金剛寺の境内で行われる灯籠祭りは、若い衆の主催する祭りで若い衆が燈籠の一つ一つに絵を描いたり、奉納されたものを紙に書いて貼り出したりする。