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[婦人のオトキと婦人会]

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 戦前には愛国婦人会や国防婦人会があった。愛国婦人会は明治三四年に軍の後援のもとに結成され、出征兵士の送迎やその家族の慰問などの活動を行った。国防婦人会は昭和七年に大阪、東京で結成された。陸軍の監督後援を受け、傷痍軍人や遺家族の、後援、慰問品の募集、防空訓練などに協力した。昭和一七年には大日本婦人会に統合された。戦時中には在郷軍人会、青年団と共に出征兵士の送迎、遺家族の慰問などを主に行った。
 昭和二六年一一月須賀村に婦人の地位・教養の向上を目的として婦人会が結成された。百間村もほぼ同時期に設立されているものと思われ、以降、婦人会活動も活発に行われた。昭和三〇年には県内で三七〇もの団体数を数えた。こうした婦人を対象とした婦人学級も開設されている。昭和三五年には県指定学級として年八回、「生活の技術」、「町の政治」、「婦人と法律」などの講座が行われている。また、翌三六年には須賀地区で行われている婦人学級が文部省(現文部科学省)の指定学級に指定されている。「青少年の健全な育成をはかる為の学習」、「良識ある婦人となる為の学習」を課題として八月から一二月まで七回の講座が開かれた。
 藤曽根では、嫁たちの集まりを若いものオトキ、姑たちの集まりを年寄りオトキと称して、集会所で集まりを持つ。現在でも行われてる。
 姫宮では、各家を持ち回りで婦人のオトキ(嫁の集まり)、おばあさんのオトキが行われる。
 松の木島では、一〇年前まで集会所を会場に、若妻会(嫁の集まり)、中年会(中年の婦人の集まり)が行われていた。
 辰新田では、婦人の集まりを三月、八月、一一月の年三回行う。参加者は二五人くらいで、ヤドは各家を順番に回っている。現在でも行われているが、参加者は高齢者になっている。
 本郷では、昭和四六年ごろまで若妻会(嫁)、婦人会(姑)が行われていた。中には両方の会に属していた人もいる。会員の家をヤドに年に二回集まりが持たれた。