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百間

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 行基が出土ヶ原にて神外の地を測らせたところ、百間(ひゃっけん)あったので「百間(もんま)」の里といったという。(『百間記』)また、西光院の西の神外堀までを陣内といい、そこには百軒の家があったので「百間」という名が付いたという。