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 「鈴木を氏とす。代々当村に住して元は里正も勤たりという。家記を閲るに、先祖は、鈴木左馬重次とて、管領上杉に仕え、その子雅楽助重久も上杉の臣たりしが、その子雅楽助業俊のときに至り、北条氏政に属し、その子日向守重門太田氏房の旗下となれり。この日向守のち、入道して了清と称す。元和三年(一六一七)みずから筆記せし軍功の覚書あり。それにしばしば戦功ありて、氏政、氏直より感状を与えられしが、回禄のために失いしと記せり。今も焼け残りしものとて文書六通を蔵す。以下略」とある。(『風土記稿』)
 谷新田(字中・東の辺り)は中野家の先祖が開発に力を注いだという。