この村(百間東)には鍛冶屋が住みつかないという。伝えるところによると、昔どこからか知れないが、ふしぎな大工が西光院に現れて、御堂を三日間で建てることを本尊に誓った。大工の仕事は着々進んで、三日目の明け方ごろにはできあがるまでになった。すると東の空が白むとともに、村の鍛冶屋の「トンテンカン、卜ンテンカン」という勇ましい槌(つち)の音が響いてきたので、大工は残念そうに工事をそのままにして、どこへともなく立ち去ったという。その後、鍛冶屋の家に不幸が続いたので、村人は大工のたたりだといって噂しあい恐れた。それからというもの、この村にはまったく鍛冶屋が住み付かないようになったという。なお、お堂を建てかけたまま村を去った大工は、左甚五郎であったという。(『伝説集成』)
図3 西光院の御堂