ビューア該当ページ
目次
/
第一章 原始・古代
/
水辺に暮らす
稲作文化の始まり
16 ~ 16 / 117ページ
狩人たちが田んぼをつくる。大きな決断があったに違いない。自然物採集から生産経済への大転換は、ムラをあげての共同労働が前提となる。しかも、コメ作りには、日照り、水害、病虫害など、様々な試練が待ち受けている。そして水の問題。水を制したものが豊かな実りを手に入れるのである。豊かなムラはさらに強大なムラ、クニヘと勢力を拡張する。コメ作り、それは戦いの始まりでもあった。
◎庄和町 須釡(すがま)遺跡 2号再葬墓(さいそうぼ) (庄和町教育委員会提供)
◎庄和町 須釜遺跡 出土土器 (庄和町教育委員会提供)
◎熊谷市 北島遺跡 水田跡 (埼玉県立埋蔵文化財センター提供)
◎熊谷市 北島遺跡 堰(せき)のような木組の遺構 (埼玉県立埋蔵文化財センター提供)