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皇女への貢物

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 太田荘(おおたのしょう)は、平安時代末期に鳥羽天皇の第三皇女である八条院(はちじょういん)の所領として置かれた荘園で、北埼玉郡・南埼玉郡にまたがる広大な荘園であったと推定される。当時の荘園は、地方の豪族が中央の実力者に私領を寄進することによって成立するのが一般的で、太田荘は、平将門の乱を鎮圧した藤原秀郷(俵藤太)の子孫の太田行尊が開発し、何らかの形で寄進されたと考えられる。
 

◎薬師如来座像 (羽生市永明寺所蔵)


◎薬師如来座像 (羽生市永明寺所蔵)

 この薬師如来座像の背銘に「奉造立武蔵国太田庄北方永明寺薬師如来尊像」とあり、羽生市付近が太田荘の北方であったことがわかる。
 

◎太田荘の範囲

 太田荘は現在の春日部市・岩槻市・白岡町・宮代町・久喜市・鷲宮町・加須市・大利根町・騎西町・羽生市を荘域としており、西隣の騎西郡とはかつて白岡町を流れていた日川、東隣の下河辺荘とは古利根川を境界としていたと推測される。
 

◎応永21年(1414)銘鰐口(わにぐち) (宝生院所蔵)

 この鰐口には「武州太田庄南方百間姫宮鰐口一口」という銘文があり、百間の地が太田荘の南にあったということがわかる。
 

◎徳川家康朱印状 (西光院所蔵)

 西光院が徳川家康より寺領五十石を寄進された際の朱印状にも「太田庄之内」という文言がみられる。