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浄土のくにへ

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 武士が台頭し、律令制国家であった平安の世が乱れ、末法(まっぽう)の世界の訪れといった不安定な時代の中、人々は阿弥陀仏を心のよりどころとして、極楽浄土への幸せを願い、阿弥陀三尊像を造った。現世での幸せ、そして来世に安楽を求め願いを込める人々の姿があった。
 

◎西光院(昭和23年頃)

 西光院は、かつて「百間山光福寺」といい、奈良時代に行基(ぎょうき)によって創建されたという伝承もある法相宗の大寺院であった。戦国時代の中興日雄(にちおう)のときに京都の新義真言宗醍醐寺三宝院の末となり、末寺門徒塔頭二十七か寺を数えたという。
 

◎旧阿弥陀堂 (西光院所蔵)

 阿弥陀三尊像が納められていた阿弥陀堂で、長禄2年(1458)に阿弥陀如来像が修理された際に建てられたものであろうか。この阿弥陀堂は昭和27年(1952)の西光院の火災の際に焼失した。
 

◎阿弥陀三尊像 (西光院所蔵)(国指定重要文化財)

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 中尊の台座連弁に「安元2年」(1176)の墨書銘があることから、平安時代末期の作であり、平安時代中期の仏師・定朝の影響を受けているが、地方仏特有のひなびた個性や風情も感じられる。
 

◎北条康成書状 (宮代町指定文化財「西光院文書」)

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 永禄13年(1570)、玉縄城主で岩付城代であった北条康成(のちの氏繁)が、岩付当番衆が西光院の権利を侵害した場合は、その者を小田原(北條氏政)へ報告し、重罰に処すことを約束している。
 

◎北条氏房判物 (宮代町指定文化財「西光院文書」)

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 天正14年(1585)、岩付城主北条氏房が、西光院六か寺の所領を安堵し、岩付城繁栄を祈念するようにもとめている。
 

◎笈岳(おいずるがだけ)出土経筒 ((独)東京国立博物館所蔵)

 石川県笈岳山頂から出土したもので、「武州太田庄光福寺」の銘がある。永正15年(1518)光福寺の僧実栄が旦那の正朝に依頼され、六十六部聖十覚坊に託して修験の霊場笈岳に埋めたものである。
 

◎日光道中分間延絵図(部分・(独)東京国立博物館所蔵)

 近世に描かれたものであるが、西光院が大寺院であったことがうかがえ、「東光院」があったこともわかる。
 

◎五社神社本殿 (埼玉県指定文化財)

 熊野三社・白山・山王の五社を一棟等間隔に合わせ祀っている。本殿は文禄・慶長期(1592~1615)の形式を伝えている。蟇股には、牡丹・竜・孔雀・鳳凰・虎・猿などの彫刻が施されている。
 

◎旧西光院四足門(しそくもん) (西光院所蔵)

 かつての西光院の山門で、昭和27年(1952)の火災で焼失した。室町時代に建立されたものと思われる。
 

◎『新編武蔵風土記稿』に見える雷電神社鰐口 ((独)国立公文書館所蔵)

 天文22年(1553)に五社神社と阿弥陀堂の間にあった雷電神社に奉納されたもので、『新編武蔵風土記稿』に掲載されているが、現在は所在不明である。
 

◎十一面観音菩薩立像(西方院所蔵) (宮代町指定文化財)

 寄木造で玉眼(ぎょくがん)が嵌(は)め込まれている。かつては西方院末の観音堂(廃寺)の本尊で、幸手一色氏(いっしきし)の寄進であると伝えられ、室町時代に造られたと推測される。
 

◎阿弥陀如来坐像 (地蔵院所蔵)(宮代町指定文化財)

 檜材寄木造で、後世に大幅な修理が施され、彫眼は玉眼に改められているが、平安時代末期から鎌倉時代初期に造られたと推測される。
 

◎遍照院

 開山祐源により、天正元年(1573)に創立されたといい、また、清範法師により応徳2年(1085)に創立されたともいう。
 

◎宝生院

    開山宥慶が寂したのが明応9年(1500)6月10日といい、15世紀後半の開基であると考えられる。
 

◎医王院

                天文年中(1532~1555)の開基という。
 

◎妙本寺

           嘉元元年(1302)造立、開山日尊は貞和元年(1345)5月8日寂す。
 

◎青林寺(しょうりんじ)

      開基創立年代や由緒は不詳であるが、南北朝期や室町時代の石造物が残されている。
 

◎西方院

          寺伝によると、寛仁元年(1017)に法印幸秀が創立したと伝わる。
 

◎宝光寺

       天文元年(1532)創立と伝え、開山岩芳が天正15年(1587)6月17日に寂したという。
 

◎真蔵院

 嘉暦年中(1326~1329)創立と伝え、境内の薬師堂は仁治年中(1240~1243)に創建されたという。
 

◎金剛寺

             開山存清により文亀元年(1501)に創立されたという。
 

◎華蔵院(けぞういん)

 開山には諸説あるが、一説には開山は法印恵伝で、嘉暦元年(1326)6月11日に没したと伝わる。
~『新編武蔵風土紀稿』・『武蔵国都村誌』・『堂庵明細帳』などによる~