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人の道・ものの道

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 鎌倉へ至る道の一つとして、鎌倉街道中道(なかつみち)が通っていた。道筋の社寺の門前には市が立ち、近在の品々はもちろん、日本各地で生産されたものや大陸から渡ってきた陶器も並べられ、売り買いされていた。
 人やもの、情報が行き交う道は、まさに異郷の文化に出会う道でもあった。
 

◎「市場之祭文(いちばのさいもん)」にみられる地名

 「市場之祭文」とは、市が開かれる際に行われる市祭りで、修験者(山伏)が市神(市杵姫神)にささげる祝詞のことである。後半部には武蔵国や下総国の33箇所の市が列記されているが、これらの市は、修験者による市祭の祭祀圏を示したものと考えられている。
 

◎「市場之祭文写」(「武州文書」(独)国立公文書館所蔵)


◎天目茶碗(てんもくちゃわん) 地蔵院遺跡


◎在地産摺鉢(ざいちさんすりばち) 地蔵院遺跡


◎内耳土鍋(ないじどなべ) 地蔵院遺跡


◎発掘出土古銭

 中世の日本列島では、独自の貨幣は発行されず、東アジアの交易圏の通貨であったといえる中国銭が広く流通していた。
 

◎真蔵院門前

 「武州太田庄須賀市」は、鎌倉街道に面した真蔵院の門前市であったと推測される。真蔵院境内には、仁治3年(1242)開基と伝えられる薬師堂があり、この薬師堂は、かつては仁王門の奥の現在の本堂の位置にあった。
 

◎東粂原鷲宮神社

 「市場之祭文」にみられる「武州太田庄久米原市」は、鎌倉街道に面している東粂原の鷲宮神社の門前に開かれたのではないかと推測される。