ビューア該当ページ

中世びとの祈りの形

36 ~ 38 / 117ページ
 鎌倉時代から戦国時代にかけての石造物の代表的なものに、宝篋印塔(ほうきょういんとう)、五輪塔(ごりんとう)、板碑(いたび)がある。これらは、この時代の古文書がほとんど伝えられていない町域では、当時を知るうえで貴重な資料である。
 宝篋印塔は、宝篋印陀羅尼経(ほうきょういんだらにきょう)を塔の内部に銅塔に入れて納められたことから宝篋印塔と呼ばれている。主に供養塔として造立されたものである。五輪塔は塔婆の一形式であり、板碑は主に供養塔として造立されたものである。
 町内には、宝篋印塔三基、五輪塔九基、板碑一九一基が確認されており、中世人(びと)の信仰の一端をうかがい知ることができる。
 

◎板碑 正安3年6月日 (観音寺墓地)


◎板碑 延文3年2月11日 (小島氏所蔵)


◎板碑 嘉暦3年12月2日 (中村氏所蔵)


◎板碑 年代不明 (中寺遺跡出土)


◎板碑 延文6年6月22日 (渡辺氏所蔵)


◎板碑 応永31年8月21日 (宝生院所蔵)


◎板碑 応永5年4月10日 (宝生院所蔵)


◎宝篋印塔 貞治丁未8月 (西光院所蔵)

 
 

 

中世、武士(もののふ)の時代。
古利根川は武蔵と下総を隔てる
国境の大河として、大地に
その歩みを
刻みつけていた。