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上下の争い(水をめぐって)

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 水は高いところから低いところへと流れて行く。笠原沼へは上の高いところからたくさんの水が流れ込んでおり、堰を作ってさらに下の田へと水を引き利用していた。
 上の村々は、いらない水を下へ早く流したい。下の村々は、田へ引くためにせき止め、流さない。大雨でも降れば一大事。流せ、流さないの押し問答が繰り返され、ついに幕府へ訴えることとなった。幕府の吟味の結果、玉虫色の幕府の裁許が下された。下の水を確保して、上の水を流すように指示をする。しかし、水の調整は水田を作る上で必要不可欠である。争いは何度も繰り返された。
 

◎掛渡井出来上の図 (「算法地方大成」巻四 堀江氏所蔵)


◎百聞村絵図 (折原家文書)


◎元禄6年 騎西領落堀堰論裁許状(表面) (折原家文書)

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◎元禄6年 騎西領落堀堰論裁許状(裏面) (折原家文書)

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