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より多くの実りを求めて(笠原沼新田の開発)

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 江戸時代半ばにもなると、幕府の財政は、支出が増え大変厳しいものになった。このような状況のなか、将軍職に就いたのが八代将軍吉宗であった。吉宗は将軍職に就くと、それまでの政策を一転し、収入の増加を図るために新田開発を奨励し、そのための様々な法令をだした。
 吉宗の新田開発政策の中心となったのは、井沢弥惣兵衛為永であった。為永はこれまでの開発で形成された多くの沼や池をさらに新田に開発するという、新しい方法で新田開発をおこなった。この方法で開発されたのが笠原沼新田であった。
 

◎享保19年 笠原沼新田之内 武蔵国 埼玉郡中嶋村新田検地帳 (岩崎家文書)


◎享保19年 笠原沼新田之内 久米原村新田検地帳 (岡安家文書)


◎笠原沼新田絵図 (岩崎家文書)


◎享保7年 笠原沼地先開発願 (戸田家文書)


◎笠原沼落堀の堰跡