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第三章 近世
四季を詠む
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江戸時代の初期に始まり、五七五の十七文字に人々の想いが伝えられている俳諧。その結社の一つで松尾芭蕉の流れをくみ、深川六庵の一つと称された多少庵が百間村へ移ってきたのは、江戸時代も終わりの頃であった。多少庵の系譜を継承した島村新右衛門こと多少庵鬼吉は、百間中村の名主でもあったが、庵をこの地へ移したのであった。
近隣の有力農民たちは、競って作品を詠み、その出来を批評し合ったことであろう。残された数々の作品には当時の人々の四季への想い、生活の一端を垣間見ることができる。
◎多少庵代々の庵主
◎多少庵俳句額 文政9年 (五社神社所蔵)
◎多少庵第三世 中野南枝の句碑
◎多少庵第三世 中野南枝の墓
◎多少庵第四世 島村鬼吉の句碑
◎多少庵が刊行した句集 (新井家文書)