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宮代に吹く西洋の風(和戸教会)

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 明治六年、生糸・蚕種貿易では国内最大の港であった横浜の地に、小島九右衛門の姿があった。九右衛門は同郷の大工・小菅幸之助とともに、西洋文化の象徴ともいえるヘボンやバラといったキリスト教宣教師たちと出会い、キリスト教の信仰に目覚め、地元における布教活動を始めた。そして明治十一年十月二十六日、彼らを中心として埼玉県最初のキリスト教会である和戸教会が設立された。
 

◎和戸教会 初代会堂

 明治15年(1882)5月起工、同年11月26日に献堂式が行われた。同教会の中心的な信徒であった小菅幸之助の手により建築された。
 

◎ヘボン(J.C.Hepburn) (明治学院大学提供)

 安政6年(1859)10月、夫人を伴っての来日だった。医師として施療院を開き、多くの日本人の診療にあたるとともに、日本語の研究や聖書の和訳などにも力を注いだ。
 

◎フルベッキ(G.H.F.Verbeck) (明治学院大学提供)

     安政6年(1859)長崎に宣教のため上陸、和戸教会とは設立当初から深くかかわっていた。
 

◎バラ(J.H.Ballagh) (海岸教会提供)

 文久元年(1861)来日。塾を開いて英学を教えるかたわら、布教活動を行なうヘボンとの出会いにより、キリスト教への信仰を持つようになった九右衛門は、バラの手により洗礼を受けた。
 

◎小島九右衛門 (和戸教会提供)

 蚕種紙の輸出のため横浜へ向かった九右衛門は、ヘボンを通じてキリスト教への興味と信仰を深め、明治8年 (1875)6月にバラから受洗した。その年の秋には郷里の和戸へ戻り、伝道を開始した。
 

◎小菅幸之助 (和戸教会提供)

 明治6年(1873)に同郷の九右衛門を頼って横浜に向かった幸之助は、大工の棟梁といった腕を生かし、海岸教会やフェリス女子院寄宿校舎などいくつもの西洋風建築にたずさわった。
 同9年5月受洗、九右衛門と一緒に郷里での伝道をおこなうとともに、和戸教会や沼田教会の会堂建築を行なった。
 

◎現在の海岸教会

 大正12年の関東大震災により会堂が崩れ、設立当時の資料は、その多くがこのときに失われたが、九右衛門や幸之助が受洗した記録は、今なお大切に保管されている。
 

◎海岸教会 会堂写真 (海岸教会提供)

            小菅幸之助は、大工としてこの会堂の建築にかかわった。
 

◎沼田教会紀念会堂 (現・関口コオきり絵美術館)

 大正3年、かねてより親交のあった星野光多の依頼により、沼田教会の2代目会堂を建設したのが幸之助だった。
 

◎今に伝えられたヘボン膏 (松村氏所蔵)

 ヘボンの施療院で学んだことがある和戸の医師・篠原大同が開発した塗り薬。ヘボンからその作り方を教わったと伝えられている。大変効き目が高いと評判で、にせものと見分けるために本物には大同の遺言書の写しが添付され販売された。