[解説]

route123456789101112131415161718192021222324252626-227282930313233343536373839404142434445464748495051525354555657585960

 
 
百間源太宿に住んでいる百間村組頭清次郎さん(51歳)の旅日記です。天保12(1841)年1月から約2ヶ月半にわたって、東海道・伊勢路を通り伊勢神宮や熊野那智大社をはじめとする西国三十三箇所、四国の金刀比羅山、天の橋立、若狭小浜、中山道を通り善光寺、草津などを経て3月12日に百間に帰郷しました。非常に盛りだくさんのスケジュールでした。なお、清次郎さんは、後に百間村の名主を勤めています。
 
天保12年1月25日
今日からいよいよ旅に出発。瓦曽根(越谷)の中屋で昼食をし江戸馬喰町3丁目庄内屋に泊まる。
「道中日記」原本を読む

 
1月29日
今日は小田原から箱根の山を越え三島へ行く。箱根関所の左右に茶屋がありそこで昼食をとる。三島には源頼朝公の名馬の爪跡や槍突き石がある。
「道中日記」原本を読む

 
閏1月3日
府中から丸子へ向かう。宇津谷峠のとし団子は名物。岡部の蔦屋で昼食をとる。島田から金谷へ大井川を渡る。船代136文を2人で払う。
「道中日記」原本を読む

 
閏1月5日
金谷から掛川へ。日坂峠の夜鳴石は有名である。掛川からは東海道ではなく、秋葉山へ廻る。秋葉山鳳来寺には多数の灯篭があり数えることができない。石打村の森下屋に泊まる。
「道中日記」原本を読む

 
閏1月8日
新城から御油へ。ここからは東海道に戻る。岡崎には大橋が208門、八橋の古跡がある。また、この付近には桶狭間合戦跡がある。
「道中日記」原本を読む

 
閏1月11日
四日市より神部へここからは東海道を離れ伊勢参宮道を通る。白子には、不断桜がある。上野から津へさらに松坂へ行く。出雲(雲出)川を渡るため14文支払う。雲津を通り櫛田にて宿泊する。
「道中日記」原本を読む

 
閏1月13日~15日
宿泊所である伊勢龍太夫宅から前田喜兵衛の部下である市郎兵衛さんに案内してもらう。伊勢川崎町を通り伊勢神宮に参宮し、太々神楽を奉納する。舞子は20人位である。内宮、外宮、天の岩戸を見る。15日朝伊勢龍太夫宅を出発する。ここからは熊野那智山へ向かう。
「道中日記」原本を読む

 
閏1月19日
新宮の宿屋を出発。鳴川を渡るため番所へ船賃36文を払う。新宮本社を参詣。熊野三社の山役銭を24文払う。宇久井へ向かう。この間に久ゐの浜がある。那智の碁石が出ることで有名である。浜宮から那智山へ向かう。この間には宿はない。難所の峠を越え、那智山西国三十三箇所一番那智山青巌渡寺へ参詣。那智の滝は三国一の滝である。山役銭124文払い、そうめん・酒を飲む。小口を通り峠を越え本宮を参詣。馬札1人あたり3文払う。本宮から湯の峰へ。並湯は6文、小栗湯は24文である。湯の峰に泊まる。
「道中日記」原本を読む

 
閏1月21日
稲並を出発し日高川の船で渡り32文払う。金巻村のを参詣する。この付近には十三塚や清姫のそをり塚、衣掛け柳や田んぼの中に蛇塚、境内には安珍塚などがある。小松原、原谷、井関を通り鹿ガ瀬峠を越え湯浅の綿屋に宿泊する。
「道中日記」原本を読む

 
閏1月22日
湯浅の綿屋を出発する。この付近は紀州名物みかんの産地である。かぶら坂の峠には弘法大師が爪で書いた地蔵がある。また、藤代峠は非常に見晴らしが良く西に淡路島、北に和歌山の浦、紀三井寺が見える。この峠から紀三井寺まではあと1里半(6km)。西国三十三箇所の二番紀三井寺を参詣する。ここから和歌の浦まで船に乗り18文払う。弁天前に着く。ここの拝殿は海に突き出しているようだ。東照宮や和歌の天満宮を参詣し和歌山へ向かい、五百羅漢を見る。そこから八軒村を通り馬次の金井屋に宿泊する。
「道中日記」原本を読む

 
2月2日
前日に当麻寺を参詣する。ここは中将姫が剃髪した所である。曼荼羅を見るために120文払う。当麻寺前の宿屋を出発する。新庄から御所、土佐、赤坂を通り、九ツ時(12時)に西国三十三箇所の六番壼坂山南法花寺を参詣する。ここから吉野へ向かう。吉野山金剛寺は御朱印1000石の大寺で末寺が100もあるという。この付近は義経の馬をつないだ松、馬の足跡、陣太鼓の金輪や弁慶石など源義経にまつわる伝承や旧跡が多く残る。ここから難所の多武峰の峠を少し下った大坂新助宅に泊まる。宿泊賃164文を払う。
「道中日記」原本を読む

 
2月4日
丹波市を出発する。法隆寺から小泉、大和郡山を通り奈良へ行く。奈良は名所が多い。春日大明神や大仏、猿沢池それに鹿の角の細工も有名である。九番興福寺南園堂を参詣。奈良の小田屋に宿泊する。宿賃220文を払う。
「道中日記」原本を読む

 
2月6日
前の宿屋を出発。十番は前日参詣した。三室戸からへ。十一番を参詣する。ここは女人禁制である。ここから岩間へ行き、12番を参詣するため峠を上る。この峠からは琵琶湖の湖水面が白く、湖に浮かぶや長名寺は真下に見える。また、遥かに大津の町や城も見える。守山から武佐宿へ行き宿泊する。宿賃は164文である。
「道中日記」原本を読む

 
2月9日
京都三条通り六角堂前餅屋を出発。十五番今熊野観音寺、十九番行願寺、十八番六角堂頂法寺、十六番音羽山清水寺、十七番普門院六波羅密寺を参詣する。二条城、北野天満宮、小室御所、嵯峨御所など名所も多い。愛宕山を越え亀山にて宿泊する。宿賃164文を払う。
「道中日記」原本を読む

 
2月14日~16日
明石の宿屋から四国丸亀の金刀比羅山へ向かうため長池、住吉を通り高砂町の釣り屋から金刀比羅山へ向かう舟に九ツ時(12時)に乗る。役所に5文、蒲団代を1文払う。2月16日の四ツ時(午前10時)に丸亀へ到着。16日八ツ時(14時)から伊予谷、善通寺を通り金刀比羅山に向かう。金刀比羅山では御守り1匁2分、箱代73文を払い、境内中程右側の余島屋に泊まる。
「道中日記」原本を読む

 
2月17日
朝起きると雨であった。丸亀へは九ツ時(12時)に到着した。翌18日九ツ時(12時)には瀬戸内海を渡り赤穂に到着する。
「道中日記」原本を読む

 
2月22日
元伊勢外宮の宿屋を出発。内宮、仏正寺に向かう。仏正寺で大江山酒呑童子由来の金屏風を拝見する。開帳料として6文を払う。宮津に向かいそこで休憩をとる。休憩後、に向かうため、による。そこから船で渡る。船賃6文(上下)を払う。
「道中日記」原本を読む

 
2月25日
遠敷の宿屋を出発する。遠敷はメノウの産地である。熊川を通り山中には番所がある。今津に着き休憩をとる(宿賃16文)。琵琶湖を渡るため、船賃120文を払い、乗り合わせで七ツ時(16時)に今津を出発する。琵琶湖に浮かぶ竹生島により、長浜へ到着する。
「道中日記」原本を読む

 
2月28日
岐阜には名鍛冶で有名な金華山の鍛冶屋がある。東本願寺・西本願寺・大仏・籠細工も有名。加納、鵜沼、太田を通り、川を渡るため36文払い、伏見から御嶽に行きそこで泊まる。
「道中日記」原本を読む

 
3月1日
馬籠宿を出発し妻籠、三留野、野尻、須原、上松を抜けると福島太郎の旧跡があり、木曾名物角ソバ屋で休憩する。そこから福島へ行き、宿泊する。宿賃150文を払う。
「道中日記」原本を読む

 
3月4日
龍田峠を越え、さらに峠を越えると姥捨山や川中島合戦跡がある。丹波川で船役所に29文払い籠で川を渡るため更に12文払う。善光寺に到着し参詣する。仁王門で150文、戒壇廻りで6文、御影御手本で24文、血散着代72文を払う。
「道中日記」原本を読む

 
3月6日
四分津村を出発し田代にて休憩する。大笹で昼食をとり信濃(長野県)と上州(群馬)の間の大笹関所を越え草津に入る。草津温泉でゆっくり旅の疲れをとり、9日に草津を出る。
「道中日記」原本を読む

 
3月12日
行田宿を出発し、騎西町を通り久喜本町で休憩をとり百間村に帰る。
「道中日記」原本を読む