身代リ薬師如来略縁起
1
願主 弘善
武州﨑玉郡百間領須賀村医王山真蔵院
2
抑当山ノ身代リ薬師如来者行基菩薩彫刻シ給
処ノ霊像ニ而在昔奉ル
レ安
ニ置シ
ニ陸奥国会津里
伊藤修理太夫光重ト云人ノ家
一之ノ尊像也
光重ト申スハ人皇八十六代四条の院ノ御宇鎌
倉北条氏ノ家ニ事テ寵遇尤モ渥ク才文武
ヲ兼名誉世上ニ高シテ抜群ノ勇将ナリ
然レトモ侫臣遭
レ構ニ
レ讒逆
ニ主君ノ命ニ
一身ヲ会津
ノ草江兵庫頭貞氏ガ家ニ遁ル矣而ノ主君
3
ノ赫恕猶未タ
レ休仁治三稔壬寅八月六日ニ遣ス
一家
臣長崎弾正ヲ
一逐
ニ討会津ノ郷ニ
一既ニ臻
一彼処ニ両陣
及リ
ニ相ヲ闘
一其時自
ニ鎌倉方
一強力ノ武者高ユ左近
ト云モノ進ミ寄テ修理ト組合テ互ニ相殺死
矣軍兵取テ
ニ修理ガ首ヲ
ニ納レ
レ櫃ニモタラシ行テ欲ヲ
一帰
ニ鎌倉へ
一到タ
一来斯里ニ
一彼器倏忽トシテ如
ニ大磐石ノ
一少モ不
レ能ハ
一揺動スルコト衆人周ハ章惶怖テ蓋ヲ去テ見
レ之
薬師如来ノ尊首巍々トシテ在
レ焉軍衆皆
惘然タリ議シテ訴フ
ニ鎌倉へ
一時氏怪焉ヲ遣ス
ニ使
会津ニ
一使ヒ到テ
一修理カ家ニ
一見ニ
レ彼ヲ身命無シ
レ恙カ常ニ
光重カ護念不ル所ノ本尊唯ダ尊容ノミ
在テ御首ヲ見奉ラス従
レ茲シテ国中感喜
銘シ
レ肝ニ
一合色ノ者聞テ
レ焉ヲ驚歎セズト云コトナシ
使ヒ還テ
ニ于鎌倉へ
一言ス
ニ於営中ニ
一時氏公歎トシテ
ニ不可思
議ナリト
一御首ヲ欲トシテ
レ迎ト
ニ于鎌倉へ使ヲ遣ス
ニ再ニ此
里
一猶フ
ニ未タ大磐石ノ
一少モ動玉ハズ然シテメ而先キ
レ是此里ノ
4
庄形辺左衛門尉一タ夢ムラタ紫麿妙色
ノ尊容ヲ現シ光明十方へ赫奕シ告テ曰
汝ナ令ヲ
ニ我像ヲシテ安
ニ置セ此処ニ
一在テ
ニ我此地ニ
一一切衆生ノ
諸ノ病苦及ヒ剣難厄難等ノ憂苦ノ身ニ代ル
へシト宣フ其余ノ霊瑞モ亦不ス
レ少ナカラ乃チ夢覚
仏勅厳蜜トルヲ感シ随喜ノ涙ダヲ押以テ
ニ彼
夢ノ事ニ
一訴へ
一官ニ
一里民勠テ
レ力ヲ請フ
下於テ
ニ此処ニ
一搆テ
ニ一宇ヲ
一安
置シエラント焉主館其旨ヲ免シ玉フ由テ
レ茲御首
ヲ安
一置ス草堂ニ
一今ノ古堂是レナリ合色精修持念シ晨昏香花供養ス瀝
レ誠ヲ凝ス
レ信ヲ
者ハ祈願スル所ノ一切ノ求願成
就セズト云コトナシ誠ニ希有
ノ霊像ナリ然シテ経テ
ニ二十余年ヲ
後渋谷丹波
渋谷氏之後胤今猶在焉遭テ
ニ感応揚
焉ナルニ長宥阿闍梨及ビ遠近有信之
人ト勠
レ力発
二志願
一命
レユ令
レ製ラ一像躯
ニ 5
合ノ
二尊首
一成ス
二全容
ヲ
一其像也今五百
九十余年ヲ歴ルニ及テ猶
レ奉
レ拝
一生身之尊容ヲ
一感応今新ニシテ膽
礼帰敬スルモノ縄々トシテ不
絶通夜ノ老若或ハ三七日或ハ一
七日塩ヲ断乃至食ヲ断ン参籠
礼讃シ蒙
二霊鐱
一ヲモノ其類無
レ量
矣亦爰ニ古ヨリ会津ノ大守二
御通行ノ砌ハ灯料トシテ被
レ投
二青銅ヲ
一シ事アリ依テ大守御
武運長久国家安栄御願成弁之御
祈願例事ト而今二不
レ怠奉ル
レ勤
二修
焉ヲ
一矣夫レ至聖之応二
レ世二必待
レ時諸仏ノ利スル
レ物ノ必由ノ
レ縁云云我薬師如来ノ以
二威神
力ヲ
一御身代リ二立給ヒシ異霊ノ徳ヲ
讃揚シテ其略トシテ
二旧記ヲ
一有縁ノ衆ヲ勧メ
6
令ニト
レ増サ
レ信ヲ爾云
此度従 嵯峨御所当本尊被為有
御信仰旨御寄附之御事
一 菊御紋附紫縮緬御幕
一 同御紋附御燈灯
一 御翠籠
右薬師如来宝前江為荘厳 御寄附
御宣旨被成下置候金可為厳重之御沙汰
者也
維文政四龍集辛巳仲夏誌刻