今から五十八年前の昭和二十七年四月二十二日、一人の男性が静かにこの世を去りました。その人の名は島村盛助。作家として、翻訳家・英文学者として、そして教育者として多くの実績を残しながらも、これまで広く知られてきませんでした。
島村盛助は明治十七年八月九日に、百間中村に生まれました。盛助が生まれた家は、江戸時代初期から名主を勤めてきた家で、当主は代々新右衛門を名乗りました。西光院にある墓地には、歴代当主の立派な墓石が立ち並んでいます。
明治時代に刊行された有名な文学雑誌に、いくつもの小説や翻訳などの作品を発表し、新聞に連載小説を掲載したこともある作家でしたが、大正九年に旧制山形高等学校(現在の山形大学)の教授職に就いてからは、後進の育成に尽力する教育者として多くの人材を育てました。盛助の功績のなかで、岩波書店初の語学辞典として「岩波英和辞典」を編さん・刊行したことは有名で、地元では「島村盛助」の名を知らない人でも、「辞書をつくった人が住んでいたらしい」という話だけは伝わっていました。
宮代町では、盛助の没後五十年を記念し、郷土資料館において平成十五年度特別展「英文学者 島村盛助」を開催しました。特別展の会場では、盛助の家系、作家としての姿、英文学者としての姿、交友関係などを紹介しました。この特別展を見学いただいた方の中からは、「町にこのような素晴らしい人がいたとは知らなかった。」などの感想を聞くことができました。いずれの方も、これまで知られていなかった「島村盛助」という人物への興味・関心を深められたようです。
郷土資料館では、この特別展の準備をきっかけに盛助に関する調査を開始し、特別展の会場においては多くの資料を紹介することができました。そして特別展終了後もさらに少しずつ調査をすすめ、情報や資料の収集に努めているところです。
また町では、平成十七年に施策として「郷土の偉人・島村盛助氏の顕彰」を掲げました。これにより、準備の期間を経て平成二十年三月に道徳の副読本「~日本語と英語をつなぐ だれよりも言葉を大切にした英語学者~ 島村盛助」を刊行、中学校における英語教育の開始を目前とした学年である、小学六年生の道徳の時間において、島村盛助氏の人となりや生き方を学ぶ時間を持つこととしました。
さらに、同じく平成二十年十月には、「島村盛助氏顕彰 第一回小中学校英語活動発表会」を開催、平成二十一年度には第二回も開催され、町内の小中学校で実践している英語や英語活動の成果を発表する機会として設けております。
このように、特別展の終了後は、主に学校教育の場を中心に島村盛助氏の顕彰がおこなわれてきました。しかしながら、常設展示室には関連の資料を展示するコーナーがなかったため、この度、島村盛助コーナーを常設展示室の一角に設けることになりました。三月末の完成を目指し、現在その関連作業が進められています。
この展示コーナーの新設にあわせ、皆さんにより一層「島村盛助」という人物を知っていただくため、次月号からはこれまで郷土資料館で進めてきた資料収集や調査の成果の中から、さまざまなテーマで島村盛助を紹介していきたいと思います。(本文中の敬称は省略させていただきます。)