前回ご紹介したとおり、帝国文学に盛助が発表した「ジュリアンの最後」は、メレシュコフスキー作歴史三部作の一つ「神々の死(別題『背教者ユリアヌス』)」の部分訳でした。
この「神々の死」は、ローマ帝国を舞台にしたお話で、前回、「キリスト教をローマ帝国の国教と定めた後の」と紹介しましたが、正確には、キリスト教がローマ帝国の国教となる少し前の話となります。
主人公ジゥリアノはローマ帝国皇帝の家系に生まれますが、伯父にあたるコンスタンティウス二世により、兄のガルス以外の家族を殺されます。幼少であったことを理由に見逃された形となりましたが、その後、祖母の元で事実上の軟禁生活が続きます。その軟禁生活のなかで、キリスト教信者としての生活を送りながらも、古代ローマやギリシアに代表される多神教に大きな影響を受けます。
戦を経てローマ皇帝となったジゥリアノは、これまでの皇帝がキリスト教に与えていた特権を廃止し、かわりにそれ以外の宗教を保護したため、キリスト教信者の立場からは「背教者」と呼ばれるようになったのでした。そして、再び戦いの中で志半ばにして、戦の最中の怪我が元で命を落としたのでした。
盛助は、この作品の翻訳にあたり、その題を「背教者ジゥリアノ」としました。
背教者とはキリスト教信者であった人が、異なった宗教に改宗するなどしてキリスト教信仰をやめた人を示します。近年の研究によれば、ジゥリアノの政策は諸宗教の勢力均衡を意図したものであったとされていますが、既に大きな勢力となっていたキリスト教と、後にそれがローマ帝国の国教にまでなったことを考えると、キリスト教の立場からの一方的な「ジゥリアノ」像が世に広まったのでしょう。この「背教者ジゥリアノ」という題の訳し方に、盛助が深い意味を込めたことが推察されます。
なお、この「背教者ジゥリアノ」の刊行にあたっては、盛助の帝大時代の恩師であるケーベルと、森鴎外(本名の「森林太郎」使用)が前書きを寄せています。