東京帝国大学の在学中に戯曲を、そして卒業後は翻訳を発表した盛助が、初めて発表した小説「残菊」が掲載されたのは、明治四十三年六月二十五日発行の「ホトトギス」第十三巻第十一号でした。
「残菊」とは文字通り、秋の末に咲き残った菊の花のことを示します。
小説の主人公は永田昌吉といい、文科大学を卒業したとあるので、東京帝国大学(以下「帝大」とします。)の卒業生という設定です。七月に卒業するとすぐに、かねてよりの婚約者・清子と結婚、翌月には徴兵検査を受け無事に兵役を免除され、妻とともに実家に住み、特に何かをするということもなく日々を過ごしていました。
十一月になり、教員となった友人の結婚披露宴に呼ばれ上京しますが、その会場となった友人の家で、大学での友人たちに再会しました。大学院に残った友人たちとの間に多少の距離が生じたと感じる昌吉の心境が、自宅の庭にある時期遅れで枯れかけた菊の花に重ねられて表現されています。
この小説を読み込んでいくと、「乗る人も降りる人もない田圃中の停車場を二つばかり越えて長い松原に沿うて草加の町に近づいた。」とか、「彼れが文科大学を卒業したのは村の年寄達が青林院にあつまって月並の俳句會を催すのと態度に於て些かも異ならなかった。」などのように、具体的なモデルを見つけることができそうな表現があり、このほかにも当時の盛助の境遇に重なるような表現を多々見つけることができます。
もしかすると、この小説の主人公は盛助自身なのかもしれません。そういう視点からもう一度この小説を読み直したとき、帝大卒業後の自身の進路に悶々と悩む盛助の気持ちが、「残菊」というタイトルと主人公の姿に重ねられているのではないか、そう思えてくる作品となっています。