「帝国文学」に小説『残菊(ざんぎく)』を発表した盛助が次に発表した作品は、同じ「帝国文学」の第十六巻第八号に掲載された『山麓(さんろく)』という小説でした。『残菊』の掲載から二ヶ月後のことでした。
小説の舞台は、八月始めの乗鞍岳(のりくらだけ)周辺です。
主人公の名は謙一。一人で登山に訪れた謙一は、ある宿屋に入り、翌日に乗鞍岳登山を計画します。その宿屋で一晩を過ごした中で、宿屋の人々や同宿となった旅人たちとのやり取りや、謙一が見たり聞いたりしたことなどが描かれています。
小説には実際の地名が多く登場し、また、主人公が目にした景色や植物など、その表現はところどころ具体的です。例えば地名は高山(たかやま)や野麦峠(のむぎとうげ)といったよく知られたものから、現在では小字で残っているような「西野」「阿多野(あだの)」といったものがあります。また、謙一が登山のための宿屋へ向かう途中の表現には、「(前略)村(むら)の女(をんな)を傭(やと)って道案内(みちあんない)にして、長峰(なかみね)峠(たうげ)を越(こ)えて飛騨(ひだ)に這入(はい)った。山道(やまみち)の右左(みぎひだり)には白(しろ)い虎(とら)の尾(を)の花(はな)、薄紫(うすむらさき)の釣鐘(つりがね)草(さう)の花(はな)などが咲(さ)き亂(みだ)れてゐた。(中略)國境(こくきゃう)には栗(くり)の大木(たいぼく)の下(した)に古(ふる)い棒杭(ぼうぐい)が立(た)ってゐた。謙一(けんいち)はその棒杭(ぼうぐい)の處(ところ)に立(た)って猿(さる)麻(を)裃(がせ)の垂(さが)った樹(こ)の間(ま)から飛騨(ひだ)の國(くに)を見下(みおろ)ろした。(ルビは作品にふられているままです)」というものもありました。
多くの文献が出されている現在でも、地図から失われてしまった地名や村などの名前、あるいは限られた地域の限られた植生などを、文献を使って調べることは大変な労力と時間を要します。また、現地に行かなければ得られない情報も多いということは、皆さんも経験されていることでしょう。
盛助のこの『山麓』という作品には、実際に目にして経験しないとわからないと思われる要素が多く含まれています。この後に発表した作品の中にも、山をテーマにしたものが数点あることを考えると、盛助に登山を楽しむというアクティブな一面があったことを想像させます。