第28回 作品紹介(12)『火取虫』

「雑木林を出はづれた所から路(みち)が二つに別れる。村の人が新道と云ってゐる方の砂利を敷いた道は二里ばかり距(へだ)たった奥州線のある停車場へつづいてゐる。他の、草に蔽(おお)ひかぶされた細道は遠野良へ通ふ路なのである。」
宮代町内のとある場所の様子に酷似した表現で始まるこの小説は、明治四十四年十月一日発行の「帝国文学」第十七巻第十号に収録された『火取虫』です。タイトルの「火取虫」とは、辞書によると「火に集まる虫」「夏、あかりや火に集まる蛾などの虫」という意味だそうです。苳三(盛助)の作品には珍しく、主人公が女性です。内容は、お千代という女性が、徳次郎という男性と心中するというものです。
お千代は男性とのうわさが絶えない女性で、幾人もの男性を「振り棄て」、今は徳次郎と付き合っているようです。実はお千代には、「村を捨て、遠い他国で互いに頼りになりあって苦労がしてみたい。」と、浄瑠璃や小説などに出てきそうな理想の恋愛があって、その理想をかなえてくれそうな男性を求めてのことでした。ようやくかなえてくれそうと見込んだ徳次郎も、なかなか思い切ってくれず、なんとか決心をさせるために目の前で「一頃訳のある仲であった」男性と、「二人の仲がまたもとに返ったのだ」と誤解を受けるくらい親しくしてみせます。そしてそれは功を奏し、徳次郎の嫉妬心を利用して、駆け落ちをする決心をさせました。
徳次郎と示し合わせた場所に向かうまでの間に、お千代の頭のなかには、村で流行っていた心中の歌の文句がぐるぐると巡っていました。徳次郎と会い、歩みを進めていく中で突然、お千代は徳次郎に「死んで呉れろ」と言い出します。「何故さうすべぇ」と愕然としながらも、もうお千代と離れることはできないと思いつめた徳次郎は、村のはずれに程近い用水の土橋にさしかかる頃には、二人の幸福のためにはそれしかないと思いつめていたのでした。遺書をしたためる中で、死なねばならぬ理由を書くところで当惑した徳次郎は、「夜があけるから惜しき筆とどめ候」と書き置きしました。その脇では、涙をはらはら流しながら、お千代が着物の袂の中に砂利を拾い入れていたのでした。
このタイトルに表現されているものとは何でしょうか。火は燃えながらもさまざまに様子を変えます。明るい火の回りに集まった虫たちは、近づきすぎると身を焦がし、距離感を見誤ると命を落とすかもしれません。虫たちを翻弄し、意思を持ったかのように燃える火でも、実は火自身が何かに翻弄されながら燃えている。火はお千代を、そしてその火に集まる虫たちは徳次郎をはじめとする男たちと考えると、タイトルを『火取虫』とした苳三の意図が見えてくるようです。
なおこの作品は、明治四十五年七月十三日に春陽堂から出版された、「現代文藝叢書 第十三巻『貝殻』」の中に収録されています。その際に改題されたようで、『火取虫』ではなく『お千代』となっています。改題にいたった経緯はまったくわかりません。言葉の意味を正しく理解し使用するといった後年の盛助の姿勢から考えると、小説で表現をしようとしたことが、もともとのタイトルの『火取虫』ではわかり難かったことから、中心人物である『お千代』にすることにより、読者の意識を集中させる効果を狙ったのではないかと思われるのです。