前回ご紹介した『火取虫(ルビ:ひとりむし)』に続いて、島村苳三(盛助)の作品が雑誌に掲載されたのは、明治四十五年(大正元年・七月三十日改元)七月一日発行の「帝国文学」第十八巻第七号でした。その作品名は『楊(ルビ:やなぎ)の花』というもので、主人公は正之助といい、前年の秋に大学入学をした学生という設定です。
物語は、同じ年齢で従兄弟のなかでも一番仲良くしてきた信三が婿入りする前夜と、彼が里帰りした夜の二部構成になっています。幼い頃から仲良くし、高等学校の受験のために借りた部屋で起きてから寝るまでの生活を共にし、同じように受験に失敗した二人の人生に違いが生じ始めたのは、再度高等学校の受験の道を選べた正之助と違い、父親の反対から別の学校へ入学した信三が突然退学してしまったころからでした。受験に失敗した後、正之助は高等学校に入学することができましたが、信三は徴兵検査に合格して兵営に入営するも、新兵としての終末試験に差し掛かる頃に病気をしたために、見習士官になることさえできなかったのでした。それからまもなく、信三の父が亡くなり、正之助は信三に復学の道を勧めますが、信三は「もう駄目だよ。」と力なく答えるのでした。この頃から、正之助は信三の縁談を度々耳にするようになり、いよいよ信三の婿入りが決まったのは、正之助が大学に入った秋のことでした。正之助は、信三の態度をあまりに不甲斐なく思いながらも、「依然として舊(ルビ:きゅう)の交わりをかへなかった。」のでした。
しかし、信三の婿入りの前夜、そして婚礼から三日目の里帰りの夜までのなかで、正之助と信三の立場や周りの環境が、大きく変化してしまったことを認識させられるような小さな出来事の積み重ねから、信三との関係がこれまでどおりにはいかないであろうことに直面した正之助は、「信三の結婚という事件」が、「自分の感情に引起した大きな嵐を認めない譯にはゆかなかった」のでした。
ところで、みなさんが「ヤナギ」と聞いたときにまず思い浮かべる漢字は「柳」だと思います。漢和辞典などを見ると、「柳」と書く場合はシダレヤナギのように枝が垂れ下がる種類のヤナギを示し、一方、「楊」と書く場合には、ネコヤナギなどのように枝が垂れ下がらず、上に向かって伸びていくヤナギを示すとあります。どちらも「ヤナギ」であることから、強い風に吹かれても強い雨に打たれても、しなやかにそれらをかわす力強さの象徴という面があります。
この作品のタイトルに使われたヤナギは「楊」の文字です。「ヤナギ」の持つイメージからすると、しなやかさを持ちながらも力強く空へと伸びていくといった象徴として作品に取り入れられたかと思いました。しかし実際に作品を読み進めていくと、「軟かい岸の楊の葉は正午近い日の光に凋(ルビ:しぼ)れてゐるやうで、覺束(ルビ:おぼつか)ない形をした黄色い花がだらりと垂れていた。」とか、「ぐったりした楊の花」といった表現でヤナギが登場するだけです。これは、高等学校から大学へ進学するという、端から見れば出世コースに乗りかかった正之助と、周りに流されて生きているかのような信三を比較したときに、どちらが人生の上で力強く生きていることになるのか。それを考えさせる象徴としての「楊」ではないかと思われるのです。
皆さんは「ぐったりした楊の花」は、正之助と信三のどちらだと思われますか。